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【世界史】大王の後継者たち ディアドコイ戦争 第11章~第15章 訂正・補足・追加説明など

こんにちは!
こんばんは!

RAPSCALLI😊N です。

皆さまお元気でしょうか?

ディアドコイ戦争についての記事は今回で19回目(数え方によっても変わってきますが)になりました。ここまでの記事をまだ読んでいないよという方は是非下のマガジンにアクセスして読んでいただくこと強くおすすめします!

1記事1000-1500字程度と読みやすい長さになっているので、これまでの記事に目を通してから本記事を読むと大変分かりやすくなるかな思います。

ちなみに、このペースで行けば40~50記事で完結するかなと考えています。まだまだ道のりは長いですが、私も最後まで頑張って書きますので、今後ともよろしくお願いいたします。読んでくれる、スキしてくれる人が一人でも多いほど私のモチベーションも高まるので、これからも読んでくれると嬉しいです!

それでは、今日の本題にさっそく入っていきましょう!

前回の記事が15章だったので、今回は恒例の訂正・補足の回です。

これまでの記事では文字数の関係で省略していたり、十分に書けていなかった内容について話そうと思うので是非最後まで読んでいってください!

第11章から15章のまとめ

アンティパトロスの死後、マケドニア帝国の座を巡って対立していたアンティパトロスの息子・カッサンドロスと、部下のポリュペルコン。

彼ら二人を中心に有力領主がカッサンドロス派・ポリュペルコン派に分かれて対立します。

そして、アナトリアの小領主・アリダイオスをアンティゴノスが攻撃したことにより、帝国全土を巻き込む第二次ディアドコイ戦争が勃発します。

ポリュペルコンはギリシアの支配を確実にするためマケドニアから南に軍を進めますが、上陸してきたカッサンドロスに阻まれたり、攻城戦で大きな損害を出すなど退却を余儀なくされ、却ってギリシアの大部分がカッサンドロスに寝返ってしまいます。

また、アナトリアやペレスポントスの方面でもアンティゴノスの軍勢に敗れ、ポリュペルコンと彼に味方していたオリンピュアス(アレクサンドロス大王の母)は劣勢に立たされます。

さらに追い打ちをかけるようにマケドニアにいた国王のフィリッポス3世夫妻が裏切り、カッサンドロスの支持を表明します。しかし、これにポリュペルコンとオリンピュアスは速やかに対処し、二人を捕らえます。

フィリッポス3世は殺害され、妻のエウリュディケ2世を自殺に追い込みます。

更にオリンピュアスはカッサンドロスに味方する人物を次々弾圧しますが、却って味方の心が離れ、カッサンドロスが北上してマケドニアを制圧します。

オリンピュアスは捕えられ彼女が排除した人物の遺族から殺害されます。

ポリュペルコンは手勢を率いてマケドニアから脱してギリシアに逃げます。
その後もギリシア南部を中心に軍事活動を続けますが、帝国の政治の第一線からは退きます。

訂正場所

現時点で訂正箇所は見つかっておりません。
もし見つかった場合はコメントいただけるとありがたいです。
調べた上で訂正します。

補足箇所

第11章
・アレクサンドロス大王の死亡時にはアリダイオスは柩を運搬する役割を任されていました
・プトレマイオスは戦争の間、基本的には様子見で、あくまで自分の領土のエジプトを守ることを最優先していました

第14章
・フィリッポス3世は何らかの知的障害を抱えていたと考えられており、ポリュペルコンに反旗を翻すという決断は妻のエウリュディケが指示したと考えられます。なお、一説によれば障害を持った理由は以前にオリンピュアスから毒を守られたからとも言われています

第15章
・アレクサンドロス大王が東方遠征に行っている間、アンティパトロスはマケドニア本国の支配を任されていました。しかしその間オリンピュアスと不仲になり、オリンピュアスはアンティゴノス一家に対する強い不信感を持つようになります

最後に: 参考文献について

今回は私がよく参考に使っているYouTube チャンネルの動画集をご紹介します。
もちろんYouTubeの内容を鵜呑みにしてはいけないので他の文献と照らし合わせていますが、このチャンネルの動画はとても優秀なので使わせてもらってます。

それが「Kings and Generals」 という歴史を扱うチャンネルです。
このチャンネルでディアドコイ戦争の経過について、英語ではありますが詳しく書かれているので興味のある方はぜひ見てください。

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