見出し画像

【世界史】大王の後継者たち~ディアドコイ戦争~第4章 裏目に出たペルディッカスの策略

こんにちは。こんばんは。
RAPSCALLI😊N です。

今回もディアドコイ戦争について話していきます。

アレクサンドロス大王の死後、一度平穏が訪れた帝国も、プトレマイオスの反逆により分裂しました。これを討伐しようとしたペルディッカスは失敗の責任を問われ部下に暗殺されてしまいました。

さて、これとほぼ同時期にアナトリア(現在のトルコ)でも親ペルディッカス派と反ペルディッカス派による戦争が起きようとしていました。

親ペルディッカス派を率いていたのが第一回の記事でもちょびっとだけ登場したエウメネス。カッパドキアの支配を任されていました。

一方、反ペルディッカスに名を連ねたのは、アンティパトロス・クラテロス・アンティゴノスなど、アレクサンドロス大王の下で長年戦ってきた名将たちです。

今回はその戦いに入る前に、なぜアンティゴノス、アンティパトロス、クラテロスがペルディッカスに反旗を翻したのかを見ていきたいと思います。

アンティゴノス、アンティパトロス、クラテロスがペルディッカスに反旗を翻した理由

バビロン会議ではペルディッカスに味方していたこの3人ですが、プトレマイオスとほぼ同時期にペルディッカスに対して牙をむきました。

この背景にはもちろんプトレマイオスと同様権力の一極集中に対する危機感や嫌悪感もありましたが、主導していたアンティパトロスには個人的な理由もありました。

なぜならこの直前、ペルディッカスは元々結婚していたアンティパトロスの娘と離縁し、亡きアレクサンドロス大王の妹・クレオパトラと結婚する計画を立てていたからです。

この行動の理由は明白で、ペルディッカスとクレオパトラの間に生まれた子ども、血縁上マケドニア帝国の国王になれたからです。

アレクサンドロスにも息子は2人いたものの、両方とも母親がペルシア人のため、外国人への嫌悪感の強いマケドニアは絶対に両親がマケドニア人(ペルディッカスとクレオパトラ)の跡継ぎを選びたがるからです。

すなわち、ペルディッカスはこの結婚を通して自分の家系がマケドニア国王になることを目論んだのです。

さて、娘を離縁させようとするペルディッカスをアンティパトロスを許せるわけがなく、アンティゴノスとクラテロスを率いてペルディッカスに歯向かおうとします。

アナトリアの決戦

さて、このような理由でアンティゴノス、アンティパトロス、クラテロスらが軍を率いてアナトリアに侵攻して来ます。三人とも長年アレクサンドロス大王のもとで戦ってきた、言わずと知れた名将で、兵隊からの信頼も厚い人物でした。

一方、ペルディッカスから防衛を任されたのが、第一回の記事でも一瞬登場したエウメネス。アレクサンドロス大王の秘書を務めた人物で、軍の指揮官としての経験は3人に比べればかなり浅いです。

果たしてエウメネスは、この絶体絶命の状況を切り抜くことができたのでしょうか?

次回もお楽しみに!


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?