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【世界史】大王の後継者たち ディアドコイ戦争 第0章~第5章 訂正・補足・追加説明など

こんにちは。こんばんは。
RAPSCALLI😀N です。

おかげさまでディアドコイ戦争に関する記事を第0章〜第5章まで出すことができ、また色々な方に読んでいただいたりスキをいただくことができました。

そこで今回はここまで記事を振り返って、間違った内容があれば訂正をし、伝えてきれていない情報が捕捉します。

また、今後も5回の記事に1回はこういう振り返り記事を出していく予定ですので、読者から質問があった場合はそこで答えたいと思います。

さて、今回は第0章から第5章の内容を振り返っていきたいと思います。


振り返り

バビロンでアレクサンドロス大王が亡くなった後、彼の重臣や親衛隊、兵士などが集まって彼の後継者を誰にするかを話し合いました。

様々な候補が挙がった中で、ペルディッカスが推すアレクサンドロス大王の妻・ロクサネの息子と、メレアグロスの推すアレクサンドロスの異母兄アリダイオスが2人で帝国を統治することになりました。

策略を巡らせてメレアグロスを排除することに成功したペルディッカスは帝国の実権を握ることに成功しましたが、その後エジプトの支配を任されていたアレクサンドロスの幼馴染・プトレマイオスが反旗を翻し彼との戦争が長期化した結果、ペルディッカスは部下に暗殺されてしまいます。

一方、アナトリア(現在のトルコ)では、同じくペルディッカスに反発したアンティパトロス、クラテロスらが進軍していましたが、ペルディッカスを支持するエウメネスに阻まれ、クラテロスは命を落としてしまいます。

マケドニア帝国最大の権力者であったペルディッカス亡き後、残った家臣らを中心に、今後の帝国の行末が決められることとなります。

訂正


現時点では訂正箇所は特に見つかってません。
万が一今後見つかった場合にはすぐに訂正してお知らせします。
また、もしミスを見つけた場合にはコメントなどで知らせていただけると大変助かります。



補足など


 今回はアレクサンドロス大王の死からトリパラディソスの軍会の手前までの内容を6回の記事にまとめました。ここまで記事を読んでくれた方がいればよくわかると思いますが、ディアドコイ戦争はたくさんの登場人物が出てくる非常に複雑でややこしい戦争で、これを記事にする上で多くの点を省かざるを得ませんでした。そこで今回は各記事で良いそびれたことなどを箇条書きで伝えたいと思います。

第0章
・アレクサンドロス大王の死因は一般的にマラリアかあるいはそれに似た病だと考えられていますが、当時は毒殺という噂も流布し、特に彼の母・オリンピュオスはこれを支持していました

第1章
・アレクサンドロス死亡時、アンティパトロスはマケドニアの統治を任されていたため、バビロン会議に参加することは叶いませんでした

第2章
・プトレマイオスに奪われたアレクサンドロス大王の遺体はエジプトに運ばれましたが、その後どうなったかは分かっておらず、今でも行方が分かっていません
・アレクサンドロス大王は生前、エジプトに埋葬されたいという願望を述べたことがあると言われています
・アレクサンドロス大王の死後、ギリシアでは独立を求める反乱がおこりましたが、アンティパトロスによって速やかに鎮圧されました

第3章
・ペルディッカスは一度ナイル川を渡りましたが、プトレマイオスが守る沿岸の砦に阻まれたため、南下してメンフィス付近で渡ろうとしたところ、川渡りに失敗をしてしまいます。

第5章
・アンティパトロスとクラテロスがエウメネスと対峙している間、味方のアンティゴノスが何をしていたのかというと、実際に戦闘に参加していたわけではなく、エウメネスに援軍を出さないことで味方であるという姿勢を表明していました

いかがだったでしょうか?

今回の一連の記事の内容がディアドコイ戦争についての理解を少しでも深めるものになっていれば幸いです。今後もどしどし書いていくので、是非読んでみてください!

では、また。


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