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【医療マガジン】エピソード4 眞と百田の出会い(後編)

「仮に親の介護のために介護休業を取得したとしましょう。で、親のために走り回ります。簡単な介助にも携わるようになります。まじめな日本人は、家にいても常に仕事のことがアタマから離れません。復帰後のプランを練ったり、同僚や部下が問題なくやっているかどうかが気になったり…。現実に多くの人が、介護休業期間中に仕事の電話やメールをこなしています。はっきりいって、要介護者が視界に入る空間で在宅勤務しているようなものです。
 
親の状態が悪化するにつれストレスが溜まっていきます。しかも、親が快方に向かうことはありません。それが介護というものです。親が認知症だったとしたら、同じ屋根の下で四六時中一緒にいることで気がふれてしまうこともあります。そうして、実の親を殺めてしまうような事件が年々増えているのです。
 
配偶者や子どもとの関係にも支障が出てきます。介護給付金は3ヶ月しかもらえません。しかも、ふだんの給料の7割も出ない。すると、家族は困ることになります。親の介護に関わったがために、家族が崩壊してしまうケースはよくあるものです。その結果、その原因となった自分の親のことを、恨んだり憎んだりする気持ちが芽生えてくる…。とても哀しいことです。
 
それでは、介護休業を利用した甲斐あって、親を施設かどこかに入れることができたとしたらどうなるでしょう。あなたはホッとして職場に戻ります。そうすると、上司や同僚は労いの言葉とは裏腹に、数ヵ月ぶりで戻ってきたあなたに対して微妙な感情を抱いています。
 
忙しい時期に何ヶ月も休んで、「ありがとう」のひとことで終わりかよ。ったく、いい気なもんだよな・・・と。
 
上司は上司で、いつまた休むことになるかわからないあなたを、戦力外予備軍としてラベルを貼っているかもしれません。あなたの留守を預かっていた代行者は、浦島太郎になったあなたが指示を出そうものなら、内心では反発するかもしれません。事実、多くの介護休業取得者が、次年度の異動で他部署に移っている。これもデータが示しています。
 
ちなみに、介護休業制度のルールとして、現場復帰は元のポジションと規定されているのですが、結局は次の人事異動で他部署に移らざるを得なくなるケースがままあります。親が亡くなってしまった場合を除いては。
 
介護休業制度を利用することは、本社人事部門としてはウェルカムであり推奨されるわけですが、現場的にはネガティブな反応が根強く残っているというのが実情です。つまり、ビジネスパーソンにしてみると、その仕事人生を考えた時に、決してプラスには作用しないということを覚悟した上で、介護休業の取得を決断する必要があります。
 
私の持論を申し上げれば、介護休業を取得してはなりません。親からSOSが来た段階で、クールに対処することが肝要です。介護サービスの利用については、その面倒な実務を代行してくれる会社があります。認知症の場合には、はじめから施設に入れることを前提にして入院の段取りをすべきです。これもサポートしてくれるサービスが世の中には存在しています。
 
どうか自分の時間を犠牲にしないでください。自分の人生を犠牲にしないでください。仕事のみならず家庭までも犠牲にしないでください。老親の介護は、その道のプロに任せることです。要はおカネで解決したほうが、結果的にすべてが丸く収まります。自分でコントロールできないことでイバラの道を進むよりも、実務をプロに委ねた上で、仕事と家庭にしっかり取り組んで、親に対しては精神的に支えてあげることを考えるべきです。実際の介助に自ら携わってしまったら、ネガティブモードに陥ってしまって、産んで育ててくれた母親や父親の心に寄り添ってあげることができなくなってしまう…。それが介護というものの恐ろしさです。これだけは、忘れないようにしておいてください。
 
ということで、こんどは雇用サイドとして、社員の老親問題にどう対処すべきかという話をしていきましょう」
 
 
こんな具合で、百田寿郎による研修を兼ねた講演会は大成功だった。参加した社長からも、「講師の人選、講演内容とも申し分ない。さすが世尾君だね」とお褒めの言葉をもらうことができた。眞は母親・直子に、心の中で感謝した。百田と『しらこわ』を教えてくれたのは、他でもない直子なのだから。
 
 
それにしても、もの盗られ妄想とか徘徊とか異食とか不潔行為とか…。そういった問題行動を伴う認知症の話はインパクト大だったよな。お盆と正月くらいしか親と顔を合わせないことも増えているなかで、ちょっとでも親に異変を感じたならば即、動くこと。とにかく初動が肝心…というくだりは心に刻まれた。
 
講演会で使用された資料に添付されていた『認知症の兆しチェックシート』。これも役に立ちそうだ。介護休業制度以上に、雇用側が取り組むべきことがあることもよく理解できた。親に何かあっても職場を離れなくていい福利厚生…とか言ってたっけ。さっそく調べてみよう。何なら、今回のお礼を兼ねて、百田寿郎オフィスを訪ねてみるのもいいかもしれないな…。
 
 
その日の晩、『しらこわ』の過去動画を観ていた直子のスマホが鳴った。眞からのLINEだった。百田による講演会の成功と、直子へのお礼が綴られていた。こんな些細なやりとりでも、わが子とのつながりを感じられることが、母親には本当にありがたく、うれしいものだ。直子は心からLINEに感謝した。
 
そして再び、一時停止していた「視診・問診・触診でわかる医者の姿勢」を再生した。
 
百田が魅惑の低音を奏でている。
 
「以前、聖路加国際病院の名誉院長であられた日野原重明さんは、最近の医者は医療の基本である視診・問診・触診がお座なりだとおっしゃってました。そして、これらを有効なモノにするために、医者には患者がリラックスしてうまく話せるように、効果的な質問をしながら診立てと治療方針をわかりやすく説明して理解させていく対話技術が必要だとも。パソコンやシャーカステン(レントゲン写真を貼り付ける白い電灯付きの器具。診察室に入ると医者のデスクの正面にあって、撮影したフィルム写真をスパッと挟んで、裏から光を当てて見る大きな白板のようなアレですね)のほうばかりを向いていて、ろくに患者の顔色も見なけりゃ話も聞かない。これでは、患者と医者の関係に不可欠な信頼が生まれるはずもありませんよね」
 
これを受けた華乃宮小町は、
 
「たしかにそうですが、一方で患者側にも改善すべきことはあると思いませんか? 医者からよく聞く話に、こういうのがあります」
 
患者の症状の説明が支離滅裂でよくわからない。だったらまず、必要と思われる検査を受けてもらったほうが手っ取り早いかなと考えてしまう…。
 
「患者側が自分の症状を整理して伝えることが、よい医療を受けるための第一歩。繁盛している医者ほどゆっくりと患者の話を聞いていられないとしいう状況がありますよね。医者も改めるべきところは多々あると思うけど、医者と良好な関係を築こうと思ったら、やっぱり患者側も努力する必要があると、私は思います」
 
「なるほど。例えば、患者が医者に症状を伝える際、こんなふうにしてみたら…という小町さん流のおすすめがあったりしますかねぇ」
 
百田の問いに対する小町の回答はこうだ。
 
「上手な症状の伝え方」
①いつから? 例:夕べ十時頃、食後一時間くらいして。
②どこが? 例:お腹、特に下腹部。
③どんなふうに? 例:差し込むような痛み。
④処置は? 例:市販の胃腸薬を飲んだ。
⑤経過は? 例:夕べの痛みを10とすると、今朝は7。
 
なお、再診の場合には、前回の受診から今日までの間に、症状がどう変わったかを話す。最初に処方された薬が合わずに不快感がある場合は必ず伝えること。
 
 
直子はメモを取った。
 
医者は理系人間。具体的に、定量的に伝えなきゃダメ!
 
いゃあ、今日もがんばった。直子は伸びをして、『しらこわ』のエンディングにそなえ、そして・・・。
 
「ということで、今日も明日も明後日も…、ムゥイビエン。バッキュ~ンッ!」
 
左手のピストルが奏でる銃声が、今夜も直子の達成感を満たしてくれる。

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