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7年前の自分と出会う旅
キャリアの軸を「介護」に定めた理由
大学3年生の22歳の時に〝自分のキャリアの軸は「介護」〟と決まっていました。自分の特性、これからの時代性、マーケットの将来性、日本の優位性、など、さまざまな視点から検証してしてみても、「介護」業界以外に、ワクワクするような分野はありませんでした。その気持ちは今でも変わりません。もう少し詳しく理由を書くと、
自分は、モノや情報を扱うよりも、人と接する仕事に興味があったこと。
介護が措置からサービスに変わる時代の過渡期にあったこと。
誰しもが歳をとり最期を迎えにあたって、介護は今後ますます需要が高まっていくこと。
世界最速で超高齢化社会に突入した日本は、介護分野で世界のイニシアティブを取る大きな可能性があったこと。
以上が挙げられます。特別に人より優っている強みや武器がない自分が、世界に出て活躍できる可能性があるのは何かと考えた時に、「介護」以外の選択肢が出てきませんでした。
なので、自分のキャリア形成で悩んだことはありません。将来自分がどうなりたいのかのイメージはしっかりとできていたからです。そこに至るプロセスではいろいろと苦労してきました。でも、自分の人生を1つの物語として捉えてしまえば、さまざまな人生ドラマがあった方が物語は面白くなるなと考えています。
自分の人生を物語として捉える
決して望んでいたわけではありませんが、大学卒業から現在に至るまでの人生を振り返ってみた時、一度も〝安定〟したことはありませんでした。
ようやく、介護業界でも外国人の受け入れに対して関心が出てきた矢先に、今回のコロナさんで数歩後退しました。そして、私はフィリピンでロックダウンの真っ最中です。
ただ、物語としてはなかなか面白い展開になってきたなと感じています。ここからどうやって這い上がっていくか、どうやってこのピンチをチャンスに変えていけるか。
元気であれば何でもできます。これは、介護の仕事を通して、お年寄りや障害のある方々から学んだことです。何不自由なく動ける体と心があるのだから、ありがたいことです。目標に向かってチャレンジし続けるだけです。
さて、物語という文脈から、過去の自分をさかのぼってみたいと思います。実は2013年、今から7年前に、友人の依頼を受けて、とある広報誌に記事を書いていました。テーマは〝海を渡った「介護士」〟です。
私自身の振返りと自己紹介も兼ねて、当時のままの状態でnoteに載せてみたいと思います。7年前のフィリピンの様子や、当時の私の想いをご覧ください。明日から記事を展開します。