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オールとエクセレンスを広げる科学教育

執筆者名:山形方人

Science for all (すべての人のための科学)
Science for excellence(卓越のための科学)
この2つのコンセプトは、科学の普及と発展を両立させるために重要です。

Science for all (すべての人のための科学)」とは、誰もが科学に触れ、科学の楽しさや面白さ、重要性を理解できるようにすることです。そのためには、わかりやすい科学教育や、科学体験の機会の提供などが必要となります。

Science for excellence(卓越のための科学)」とは、科学の研究や開発を進め、社会に貢献することです。そのためには、優秀な科学者を育成し、研究環境を整備することが必要となります。

日本の科学や科学教育では、All(すべて)とExcellence(卓越)の「幅」が狭いのではないか、と米国に20年近く居住してきた経験から私はつねづね感じています。そして、この幅を広めることが、日本の科学をもっと元気にすることであると信じています。

今回は、私が体験してきた2つの例、バイオバスとiGEMから、このことを考えてみたいと思います。


Science for all

動く科学研究室「バイオバス」との出会い

2018年のことでした。米国ケンブリッジ(ボストン地区)のハーバード大学の自然史博物館の前に1台のキャンピングカーのようなバスが停まっていました。ふだん見ることのない、特急列車かジェット機のような装色です。BioBusと書いてありました。このバスの中には高価な顕微鏡や簡単な実験設備が装備されています。

ハーバード大学自然史博物館の前で筆者が撮影

この時から、BioBus(バイオバス)というものに興味を持ちました。米国では、スクールバスというのは、よく見かける普通の乗り物で、多くの人々にとって幼い日々の郷愁を誘う存在です。

バイオバスのもっとも象徴的な事業として知られるのが、ニューヨークの貧困地区として知られてきたハーレムにバスを持っていって、子どもたちを乗車させて、生物の観察や実験を行うというものです。

しかし、それだけにとどまりません。


バイオバスとは

バイオバスは博物館ではありません。
バイオバスは教室ではありません。
バイオバスは乗り物ではありません。
バイオバスは(常に)バスでもありません。
バイオバスは科学研究室なのです。

https://www.biobus.org

ここでは、まずそのウェッブサイトでの説明をそのまま日本語訳しておきます。

バイオバスは、ニューヨーク市の幼稚園児から高校生、大学生が、科学を発見し、探求し、追求できるよう支援しています。私たちは、人種、性別、経済状態、物理的なアクセスなどの要因により、科学コミュニティから排除されている学生に焦点を当てています。この活動を通じて、私たちは、すべての人が科学的な可能性を最大限に発揮する機会を持てる世界を構想しています。私たちは2008年以来、ニューヨークの公立学校やチャータースクールを中心に、遠くはニューイングランド、カリフォルニア、さらにはルワンダ、エジプト、ヨルダンまで、900以上の学校や地域団体で35万人の生徒を受け入れてきました。

バイオバスの生徒たちは、多様な背景を持つ科学者たちと交流し、実験や研究のスキルを学び、科学コミュニケーションを実践し、次世代の科学者や問題解決者になるための一歩を踏み出します。 生徒は、移動ラボを利用した学校での科学入門ラボ、放課後、週末、夏のプログラム、1年間のインターンシップなどを通じて、科学コミュニティにアクセスし、その一員となっています。ハーレム、ブロンクス、ロウアー・イースト・サイドを中心に、市内全域でプログラムを提供しています。7万5,000ドル(注:1000万円)の顕微鏡を備え、科学者が常駐する移動ラボで、生徒たちは体験型科学の面白さを発見します。学校の前に停車し、幼稚園児から12年生(注:日本の高校3年生)までの全クラスの生徒が乗り込み、探究ベースの実践的で基準に沿った実験セッションを行います。

バイオバス・モバイル・ラボに45分間乗ると、生徒たちは科学に前向きになり、もっとやりたいと思うようになります。既存の学校やコミュニティ・センターでの8週間から12週間のバイオバス「Explore」プログラムは、生徒たちが自らの研究実践を発展させる機会を提供します。同時に、バイオバスの科学者たちは、現場のスタッフが探究ベースの研究プログラムを運営する能力を高めると同時に、現場にハードウェアや備品を揃える手助けもしています。

さらに、高校生や大学生を対象とした有給インターンシップ「Pursue」を通じて、将来の科学的リーダーとなる学生を支援しています。バイオバスのインターン生は、指導を通じて多くの後輩のメンターとなりながら、独立した科学研究プロジェクトを展開しています。「Pursue」と一部の「Explore」プログラムは、BioBase Harlem @ Columbia's Zuckerman Institute(注:ニューヨークにある名門コロンビア大学の研究所)にあります。このコミュニティ・ラボでは、学生はバイオバスの科学者と肩を並べて働き、移動ラボにあるのと同じ最先端の研究用顕微鏡を使用します。

バイオバスは博物館ではありません。バイオバスは教室ではありません。バイオバスは乗り物ではありません。バイオバスは(常に)バスでもありません。バイオバスは、あなたの学校の前、ブロック・パーティー(注:街の住民たちのパーティ) の前、あなたの家の前にある科学研究室なのです。

https://www.biobus.org

これだけだと子供向けといった印象があるかもしれませんが、 博士が指導を担当し、GMO食品をPCRで見つけるなど、かなり高度な実験を行うものです。運営しているのも、博士を持った人たちが中心です。


「科学デバイド」を見つけて解消しよう

日本の科学教育の深刻な問題に、科学へのアクセスの格差というのがあります。科学についての情報、施設、人材に接する機会に、国民や子供それぞれが同じように恵まれているか、というとそうではありません。これを「科学デバイド」と呼びたいと思います。

本来、科学デバイドを見つけ、それを解消する努力をするべきです。しかし、政府や地方自治体の施策さえも、そういう科学デバイドを更に大きくしようとしているということを私は感じています。

たとえば、東京のような都市部の居住者と地方の人口過疎地の居住者で科学に触れる機会が大きく異なるという格差の問題があります。東京には、多くの「本物」にふれることができる科学未来館や大きな博物館がありますが、地方にはそういうものはありません。平成の大合併で地方自治体の規模が大きくなった結果、それぞれの地方自治体の中心部には立派なプラネタリウムが設置されたりしていますが、一方で人口の少ない地域では科学を学べる身近な施設の多くが統合・整理されてしまいました。図書館でも、都市部の公立図書館と地方の公立図書館では科学関係の蔵書の量・質に雲泥の差があります。

その結果、日本の科学をめぐる環境が、どのような未来になっていくのか、さまざまな想像ができると思います。科学振興は科学館に行きたい人たちや科学を知りたい人だけでなく、「科学館に行きたいと思わない人たち」「インターネットで科学を調べない人たち」を対象にすることが大切です。

科学館や博物館、さらにはホームページのようにただ訪れる人を待っているのではなく、バイオバスのように直接出向くことで科学を積極的に振興することが、今、日本に求められていると思います。例えば、ハコもの行政の象徴となっている主要な科学館は「動く科学館」として、実験装置を備え付けたフードトラックのような車両を運営したり、博士を持った人材を積極的に活用してほしいです。


Science for excellence

イーロン・マスクになる?

この秋に世界同時発売となった「イーロン・マスク」の伝記(ウォルター・アイザックソン著)を読んだ方も多いと思います。イーロン・マスクは、PayPal、テスラ、スペースX、OpenAI、最近のX(旧twitter)と良きにせよ悪いにせよ世界に影響を与え続けています。「イーロン・マスク」に、イーロンがパナソニックの人に会うために、日本を訪れた場面が描かれています。

我々は保守的にすぎます。会社は創業95年。変わらなければいけません。イーロンの考え方もいくつか取り入れないといけないのです(パナソニック津賀社長(当時))

「イーロン・マスク」(ウォルター・アイザックソン著、文藝春秋、2023)

近年、日本の大学や研究機関でも、イノベーション、アントレプレナーシップ(起業家精神)、スタートアップなど、米国のシリコンバレーなどで盛んになった科学・技術の展開に大きく関わることが求められています。

日本の教育では、大学受験に代表されるように、個人の「学力」なるものを、科目別の試験で計測し、その数値を上げるということが、過剰に重視する傾向があります。これから考えると、毎年、優秀な生徒が個人で金メダルを取ったというような国際的な科学オリンピックのようなものは、個人技の学力試験に近いので、多くの人が納得し関心を持ちやすいものになっていると思います。科学オリンピックの問題を見れば必ずしも学力試験といったものだけではないですが、 その内容は「数学」「生物学」「化学」といった各教科だけに閉じられているのは明らかで、そこではアントレプレナーシップなんていうことが問題になることはありません。


生物版ロボコンiGEM大会2023で日本初の世界一

iGEM(アイジェム)は、The International Genetically Engineered Machine competitionとして、毎年秋に開催され、学生(大学生、大学院生、高校生)が参加する世界最大の合成生物学の大会です。2023年は、66ヵ国から、400のチーム、4300のプロジェクトが参加ということになっています。

私は、この一年以上、iGEMのメンターとして「Japan-United」という全国の高校から高校生が集まったチームを微力ながら支援してきました。この秋、フランスで開催されたiGEM大会(11月2日〜5日)のハイスクール部門でGrand Prize(世界一位)になりました。

iGEMのハイスクールのカテゴリーは、2012年から毎年行われています。大学生、大学院生のチームも含めて、日本を拠点とするチームが「Grand Prize」を獲得したのは、20年になるiGEMの歴史の中でも初めてのことです(更に詳しくは、下のリンクを参照にしてください)。

英語で行うiGEMが、生物学オリンピックと違う点についてはいくつか挙げられると思います。両者の大きな違いはiGEMは研究を中心としたものであるということと、チームで行うという点であると思います。詳細は審判(Judging)のマニュアルを読むことで詳細がわかります。

1)与えられた問題を解くのではなく、テーマも自分で考える。テーマは、純粋に生物学的な問題ではなく、環境、医療など世界や地域が抱える重要な問題まで考慮することが重要です。

2)参加費や研究費用といった資金集め、実験場所の確保まで自分たちで行う必要があります。もちろん、活動の支援者や支援機関を利用できますが、その支援者も自分で探し、支援を説得しなくてはなりません。日本の場合、大学ではこのような活動ができますが、高校レベルでは支援することが困難であるようです。

3)Wikiを使った英語によるホームページ作り、動画作り、現地でのプレゼンテーションが審査の大きな対象になる。したがって、英語だけでなく、パソコンを使用したホームページ、動画、スライド作成など、ITに精通していることは前提となります。

4)ウェットでは、パーツ作りなど、合成生物学のiGEM運動の基本が特に評価される。研究では、ウェット(実験、測定)からドライ(モデリング、ソフトウェア開発など)まで広く含めることが重要。

5)合成生物学の普及のための教育(小中学校等での実践)、多様性やインクルージョンの考慮、Human Practices(研究成果の社会実装や貢献まで考慮して、関係者へのインタビューなどを実施)、安全性(遺伝子組み換え実験や実装)、SDGsへの配慮など、広範な内容が審査される。

つまり、研究内容を考え(問題設定)、研究成果を効果的に社会に実装するというプロセスを最初から最後までやってみるという体験をすることです。そこでは、ファンドレイジング、チーム内で起こるかもしれない人間関係の摩擦やリーダーシップまで解決していかなければいけません。このようなことは、研究活動では当然のように生じることであり、それを解決していくことも意義があると思います。

まさに総合的な科学力のコンテストです。それぞれの項目に特化して部門の賞を得ることもできますが、金銀メダル獲得や総合優勝のためには、項目のすべてに対応する戦略を立てて参加することで高く評価されることになります。詳しくはこちらのブログをご参考にしてください。


世界に飛び出せ!今求められる総合的な科学力の教育

科学知識や研究だけでなく、社会への影響も考慮しつつ、サイエンスコミュニケーション、教育、イノベーション、アントレプレナーシップといった要素も競うということがiGEMなのです。その結果、科学的な側面については、ややおろそかになるというところは目をつぶらなければいけません。

Science for excellence(卓越のための科学)」という言葉からは、良い論文を書いたり、新しい科学的な問題を発見し解決するといったノーベル賞的なものを想像する方も多いと思います。それとは違うイノベーション、アントレプレナーシップといった形で、イーロン・マスクを目指すのもよいではないでしょうか。現在の日本の教育現場に求められる教育だと感じます(教育では、実際にそういう活動を全員が行うという形でなく、部活動のようにそのようなものがあるということを「見物する」ことにも大きな意味があります)。

学校の枠にとらわれず、チームワーク、サイエンスコミュニケーション、教育、イノベーション、アントレプレナーシップといった社会への貢献やインパクトを触発する教育プログラムを、多くの科学・技術分野で全国的に推進してほしいです。社会への貢献やインパクトを触発する教育プログラムで培った能力を評価する大学入学者選抜の方法や、そういった人材を育成する力を持った教員を育てる教師教育・研修の在り方などを探っていくことが重要なのだと思います。

※本記事は「科学教育 Advent Calendar 2023」の企画において寄稿されたものです。
※本記事の内容や主張は執筆者によるものであり、本記事の掲載をもってJAASや教育対話促進プロジェクトがその内容や立場を支持するものではございません。

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