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子どもに人気の聖人が、菓子パンに

11月になるとドイツのパン屋にマルティンスマン(Martinsmann)と呼ばれる菓子パンが出回る。11月11日が記念日の聖マルティヌスに因んだ薄い塩味の菓子パンだ。聖マルティヌスはライン河畔の村や町では子どもたちに大人気の聖人だ。

フランクフルトのデパート、ガレリア(Galeria)のパン・コーナー

マルティンスマンは11月に入るとパン屋の店頭を飾り始める。軽く塩を含んでいてお菓子とは言い難いが、スナック菓子として人気。眼に干しブドウを入れて、外見は不気味な人型パンだが、この時期子どもたちには絶大な人気。

ドイツのパン屋はパンの種類が豊富。マルティンスマンは上段に
人型で無表情のパンはチョット不気味な感じもする
市内のパン屋のチェーン店アイフラーのマルティンスマン
フランクフルトの聖マルティヌスの提灯行列

11月第二週、聖マルティヌスの記念日(11月11日)を挟んでドイツ各地、フランスのトゥールで子供たちの提灯行列がある。ドイツではフランクフルト、デュセルドルフで大規模な聖マルティヌス祭が開催される。教会で聖マルティヌスの特別ミサの後、聖人の寸劇、子どもたちの朗読の後、後に馬に乗った聖マルティヌスを先頭に市内を提灯行列する。

聖マルティヌスが司教を勤めたフランスのトゥールでも子どもたちの提灯行列がある

聖マルティヌスは貧者に灯をかざした聖人として知られ、子どもたちからも大人気。聖マルティヌスはフランス中央部のロワール河に臨む小村カンデス(Candes)で、397年11月8日に帰天した。聖人の遺体は船でロワール河を遡り、11月11日にトゥールに到着。遺体を移葬する間、ロワール河畔は好天気が続き、それ以来フランスでは天気の良い秋の日々を「聖マルティヌスの夏(L’été de la Saint-Martin)」と言うようになった。移葬した11月11日が聖人の記念日に。

子どもたちは聖マルティヌスの提灯行列のために自分で作った提灯を持って参加

聖人録

聖マルティヌス

Sanctus Martinus

「司教姿の聖マルティヌス」
クラナッハ工房、アルテ・ピナコテーク(ドイツ・ミュンへン) 所蔵

聖マルティヌスはローマ帝国の辺境パンノイア(Pannoia=現ハンガリー)で紀元後316年頃、ローマ軍の将校の息子として生まれた。幼い頃、父の故郷イタリアのパヴィアに移転し、そこでキリスト教に触れた。15歳の時に当時のミラノに行き皇帝コンスタンティヌス2世の親衛隊に入隊した。18歳の頃に皇帝の近衛兵としてアミアン(現フランス)に駐屯。アミアンで貧者へのマントの逸話が生まれた。ある寒い日に凍えていた貧者に自分のマントを軍刀で半分に割き渡したところ、その夜の夢にマルティヌスが与えたマントを着たイエスが現れたことから回心。

貧者にマントを割いて渡す聖マルティヌス

マルティヌスは当時名声の高かったポワティエ(Poitiers)の司教ヒラリウス(Hilaire)に師事し、司教から洗礼を受け、フランス全土にキリスト教の宣教活動を始めた。

聖マルティヌスの奇跡のミサ

聖マルティヌスに関する奇跡は数々伝わっている。ハンセン病患者を治癒、話せない娘を話せるようにしたなど。ミサに来た貧者に自分の着ていた衣服を与えてミサを司式していると天使がマルティヌスにベールを持って現れた。貧者へマントの逸話同様多くの画家によって描かれた題材だ。372年にトゥールの司教となる。
マルティヌスはラテン語、マルタン(Martin)はフランス語、マーチン(Martin)は英語。
軍人であったことから、ヴァチカンの傭兵、馬の装蹄師、軍の将校、警察官などの守護聖人。フランスでは一番人気の聖人で、フランス国内に約230の聖マルタンと名前が付く市町村がある。




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