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遠藤周作『黄色い人』と「ドラマ」の誕生

 遠藤周作の『黄色い人』は、『白い人』で芥川賞を受賞した遠藤が依頼されて書いた「群像」1955年11月号初出の小説である。

 『黄色い人』は、主人公の千葉が元司祭だったデュランの日記と共に、逮捕されたブロウ神父に宛てた手紙で構成されている。ところで『黄色い人』の粗筋がいまいち正しさに欠けているように感じる。例えば、新潮文庫に解説を執筆している山本健吉の文章を引用してみる。

彼は出征する友人の許嫁いいなずけを犯し、友が特攻機にのる前に一日だけ許嫁にいに帰ってくる日にも、彼女を犯します。そのときは、さすがにはじめて、胸にかすかな痛みを感じましたが、それとて良心の呵責かしゃくとか、罪の恐怖とかいった激しいものではなく、一本の針の先で胸を刺されたようなかすかな痛みだったと言っています。ブロウ神父が憲兵に連行される危険を、彼は前以まえもって予知しながら、それを神父に知らせるという行為に、ついに踏切ることができないのです。自分は動きたくない、面倒な事件にまき込まれるのはいやだ、という気分が、彼を支配しているのです。これが彼の言う、神のない日本人の悲惨であり、醜悪であり、行為への決断を生まない微温的な精神風土なのです。
 一方、女を犯して神父の位置を追われた、背教者デュランがあります。

『白い人・黄色い人』p.167-p.168

 「犯す」という言葉は本文にも書いてある通りなのだが違和感を抱くのは、千葉は結核を患っており余命長くないことは医師でもあるからよく分かるのである。千葉の相手の糸子は(冗談ではなく、いや、逆に冗談でもあるのだが)千葉の従妹いとこで糸子には佐伯さえきという婚約者もいるのだが、佐伯は三重の津に入隊してしまったので、千葉とねんごろになっている有様なのである。
 デュランの場合は、水害があった魚崎を訪れた際に、両親と妹を失ったキミコに偶然遭遇して、お金と共に仁川にがわの教会の住所を教えたら、三日後に現れ、その後、キミコが身ごもっていることも知ったのだが、今更追い出すことも出来ず、結局立場上教会を追われ、一緒に暮らすことになるのである。

 「犯す」という言葉は加害者の能動性が伴うはずであるが、千葉にしてもデュランにしても能動性は無い上に、相手の女性にも被害に遭っているという意識はないのであるから「犯す」という言葉は適切ではないと思うのだが、千葉とデュランが微妙に違うところは戦争時の日本人と仏蘭西フランス人の立場の違いというものはもちろんあるのだが、病身である自身が特攻隊員の佐伯の婚約者の糸子に刹那的に対応してしまう千葉の言動と、信仰心を持った者が皮肉にも信仰心の強さ故に神父の立場を追われてもキミコを救うというデュランのヒロイックな言動を比較する時、やはりその対照性は信仰心の有無で生じているのである。
 それはクライマックスにおいて、デュランが送りつけた拳銃を、デュランが自殺を諦めたと喜んで受け取り、拳銃不法所持で逮捕されても甘んじて受け入れるブロウ神父のヒロイックな言動にも見て取れる。
 つまり信仰心は「ドラマ」を生み出す原動力となっており、それは現在に至るハリウッド映画の繫栄にまで繋がっているはずなのである。