宇佐見りん『かか』と「大衆演劇」との別れ
宇佐見りんの2019年のデビュー作で文藝賞を経て三島由紀夫賞まで獲ってしまった『かか』のラストには驚かされた。
主人公で19歳の浪人生であるうーちゃん(うさぎ)は母親である「かか」の手術が成功したという報告を受けて弟のみっくんに以下のように語りかけるのである。
うーちゃんは母親の手術が成功したことは喜んでいるのではあるが、何故かもはや娘にとってはどうでもいいはずの、母親の子宮を気にしているのである。
しかしこのようなうーちゃんの「天然話」は作品冒頭の、血液を金魚と取り違えるところから既に始まっており、「蚊」と「蟹」も取り違えていたり、かかにしても「エンジェル」を「えんじょおさん」と言い間違えており、「かか弁」と呼ばれる独特の語り口と相俟って、ここにはかかとうーちゃんを取り巻く独特の世界がある。
ここで気になる点として、うーちゃんは西蝶之助という女形の大ファンと公言する大衆演劇好きなのであるが、一緒に暮らしている従姉の明子とババとジジは一緒に行くほどオペラが好きだということである。明子と仲が悪いうーちゃんが使う「かか弁」とはオペラのようには洗練されていない「大衆演劇的野蛮さ」をまとっているのであるが、そうなると「オペラ」と「大衆演劇」に挟まれたかかの立場は微妙で、正気を失った原因と捉えてもおかしくはない。
と、ここまで書いてみたのであるが、ところでうーちゃんは何故かか本人ではなく、かかの子宮を気にしていたのかは相変わらず謎なままで、そのような消化不良を抱えたまま宇佐見りんの芥川賞受賞作である『推し、燃ゆ』をページを繰って驚いた。そこに使われていた文体は「大衆演劇」ではなく「オペラ」だったからである。つまり宇佐見(うーちゃん!?)は既に「大衆演劇」から離れて「オペラ」に向かう自身を予言しており、母親の子宮を失った「うーちゃん」の、二度と「大衆演劇」には戻れないことに対する不安の吐露なのであろうが、『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞し、累計発行部数50万部を突破し大ベストセラーにもなったのだからもう心配はしていないよね、と是非宇佐見本人に訊いてみたいものだね(笑)。