見出し画像

蓮實重彦『見るレッスン』

 間違いなく世界で一番多く映画を観ている映画批評家の蓮實重彦の『見るレッスン』(光文社新書 2020.12.30)を遅まきながら読んでみたのだが、相変わらず納得させられることばかりで面白かった。
 例えば、以下のような言及。

 ここにもう一つ、近年の日本映画の論点があります。『よこがお』の筒井真理子さんは、どこか癖のある女性ばかりが登場します。あるいは、かわいい感じの人はたくさんいます。しかし、「とにかくこの女性が美しくて記憶に残った」という映画がないことが気がかりです。

『見るレッスン』p.60-p.61

  言われてみれば確かにその通りで、奇しくも同じ昨年12月に公開された『劇場版ドクターX FINAL』に主演した米倉涼子や『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』に主演した天海祐希が体調の面なども含めて第一線から離れつつあり、彼女たちの後に控えている勢いのある女優の名前を思いつくままに挙げてみるならば、寺島しのぶ、安藤さくら、江口のりこ、黒木華、河合優実……なんなんだ、これは? 決して悪意を持って並べた訳ではないのに、こんな感じなのである。
 もちろん好みというものがあるはずだからとりあえず一時的にでも「美人」の定義をしておかなければならないであろう。ここでは「広瀬アリス系」を「美人」、「広瀬すず系」を「非美人」と定義した上で、さらに女優の名前を思いつくままに挙げてみるならば、長澤まさみ、綾瀬はるか、満島ひかり、石原さとみ、新垣結衣、有村架純、小芝風花、永野芽郁、浜辺美波などほぼ「広瀬すず系」で、「広瀬アリス系」は北川景子くらいしか思いつかないのである。

 もう一つ気になったトピックを引用してみる。

 アメリカにマイケル・ムーアという人がいます。彼のやっていることが全く無意味だとは思いません。しかし、必ず何かの証明にしようという被写体へのキャメラの向け方が真の意味でのドキュメンタリーではないと思っています。彼は、知らぬ間にPC(ポリティカル・コレクトネス)の人になってしまっている。だから、政治的な態度の表明で終わってしまっているのです。ドキュメンタリー作家としては、もっと危ういことをしなければならないのに、安全圏に逃れてしまったような感じがしています。

『見るレッスン』p.115

 それから、37歳で夭折したライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1945-1982)は決して悪くないのですが、つまらない映画を撮りすぎています。(……)彼は様々な作品を撮って中には面白いものもありますが、それは結局のところ、ほとんど記録映画のような感じのものになってしまっており、本当のフィクションを撮れたのかという疑問が残ります。

『見るレッスン』p.134

 個人的にはドキュメンタリー作品ならばムーアよりもフレデリック・ワイズマン(95歳でいまだ現役!)の方が好みだし、ファスビンダーは「つまらない映画を撮りすぎ」たのではなく、撮りすぎた映画の中に結果的につまらないものが多かったのだと思うが、ムーアにしてもファスビンダーにしてもプライベートにおける「義憤」が彼らに次々と映画を撮らせた訳で、そのような「私小説」として観賞するならば彼らの作品の味わいは変わってくるのではないだろうか。

 いずれにしても『見るレッスン』で称賛されている作品はどれも単館上映されるような観賞が難しい作品が多く、新書であるにも関わらず、新書の本来の役割は完全無視で「映画初心者」にはほとんど理解できない話しかしていないので、本書を読む時間を映画観賞に当てた方が良いくらいである。
 因みにカメラをキャメラと呼ぶのは蓮實重彦と和田アキ子。