『赤頭巾ちゃん気をつけて』と「新しい敵」
主人公で都立日比谷高校三年生の庄司薫は1969年の学生運動による東大入試の中止によって途方に暮れている。さらに薫は左足親指の生爪まで剥がしてしまい、それでも薫は幼馴染の由美がいるテニスコートに行くためにゴム長靴を履いて行くのだが、薫の格好はまるで東大安田講堂の占拠に失敗した東大生の格好ではないだろうか。
しかし却って親指の怪我を悪化させた薫はかかりつけの病院に行ったのだが、診てくれたのは「イカレたようなそしてすごい美人の女医さん」で、自称「痴漢・強姦魔・色情狂スレスレ」の薫は気が気ではないのだが、結局彼女には何もせずに治療を終える。
薫は自身が通う日比谷高校を肯定的に捉えていない(以下の引用は中公文庫版から)。
薫は新たに導入された学校群制度が、この日比谷のいやったらしさを実に見事に一掃したと捉えているが、すぐに以下のように吐露している。
そもそも薫と同級生たちとの関係はどうなのか?
そんな薫のもとに自転車で15分ぐらいのところに住む小林が訪ねてくるのであるが、小林は薫に奇妙なことを伝える。
小林が帰った後に、薫も家を出て駅前の蕎麦屋で親子丼とたぬきそばを食べ、有楽町の数寄屋橋近辺で怪我をしている左足親指を踏まれたことをきっかけに小さな女の子と出会い、「あかずきんちゃん」の本を買う手伝いをし、タクシーで病院に行って治療した後に、薫は由美に出会い大学に行かないことを伝え、由美と手をつないで思案する。
因みに『赤頭巾ちゃん気をつけて』が発表された1969年当時にパクリと言われた元ネタであるJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』のラストは回転木馬に乗っている妹のフィービーを、ホールデン・コールフィールドが土砂降りの雨の中、万が一フィービーが落馬しそうになったら「キャッチ」しようと思いながら見つめているシーンで終わっている。分かりやすく言うならば、薫は決意しただけなのだが、ホールデンは既に行動を起こしているという違いは認められる。
とかく文体や作風の類似に注目が集まりがちだったのだが、今改めて読み直してみると、『赤頭巾ちゃん気をつけて』には拭いきれない違和感がいまだに残っている。そもそもタイトルは何の暗示なのか分からないままである。
しかし上に引用した文章をたどってみると、自称「痴漢・強姦魔・色情狂スレスレ」の主人公は、でも年上の女医や同級生に手を出すことはなく、「ぼくと恐らくよく似た考え方感じ方をしていると思われる」友人とは「なんとなくお互いに気まずいというかテレてしま」い、小林には「新しい敵ってのは、おまえたちみたいにはっきりとマークできるような見事な相手じゃない。なんともつかまえどころがないような得体の知れないような何か」だと指摘され、偶然出会った女の子には人目もあり、左足の親指の怪我も悪化させたから手を出すことはなかったということであり、要するにこれは小児性愛者の独白ではないのだろうか? そのように捉えるならば、小児性愛者が「赤頭巾ちゃん」に気をつけてと事前に警告していると理解できるのである。