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ドナルド・バーセルミ『黄金の雨』と「現代」の不条理

 アメリカのポストモダンの小説家の一人であるドナルド・バーセルミ(Donald Barthelme)の小説は、かつてはサンリオSF文庫でも出版されていたのだが、サンリオSF文庫自体がなくなり、ほとんどの作品が品切れ状態なのだが、それはバーセルミに限らずトマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)やジョン・バース(John Barth)やフィリップ・ロス(Philip Roth)でさえ文庫化はほとんどされておらず、やはりポール・オースター(Paul Auster)やカート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)くらいにリーダブルでなくては読者の獲得は難しいのである(かつてほとんどの作品が文庫化されたヴォネガットでさえ現在ではほぼ品切れである)。
 だから岩波文庫の『20世紀アメリカ短篇選(上)(下)』(大津栄一郎編訳)はそれぞれの作家の短篇が読めるので便利なのだが、この文庫自体品切れである。
 ここではもはや誰も読んでいないであろうバーセルミの1962年の短篇「黄金の雨(A Shower of Gold)」の感想を一応書いておこうと思う。
 主人公で彫刻家のハンク・ピーターソンは「なにかについての十分に強力な意見をお持ちの人や、少し異常と感じられる個人的体験をお持ちの人」のテレビ出演募集の広告を見て、謝礼二百ドルにも魅了され応募する。自身の作品は「芸術」に対するこだわりが強くてあまり売れていないのである。
 <私とはだれか?>という問いを巡って他の3人の出演者と共にポリグラフを付けられてピーターソンは出演したのだが、だんだんと不条理を感じ始め、司会者を無視して「きのうのこと」を語り出す。
 最後のシーンを引用してみる。

「ぼくの母は王族の処女です」とピーターソンは言った。「そして僕の父は黄金の雨です。ぼくの幼年時代は牧歌的で、精力的で、経験にみちあふれ、それがぼくの性格を作りあげたのです。青年期のぼくは、高貴で理性を維持し、無限の能力にあふれ、表情豊かな美しい容姿を保ち、理解力では……」とピーターソンは語りに語りつづけた。ある意味では虚言だったが、ある意味では真実だった。

「黄金の雨」p.311-p.312

 訳者の大津はここで注をつけている。「ぼくの母は王族の処女です」「そして僕の父は黄金の雨です」はギリシア神話のダナエとゼウスの物語から採られ、父親のアクリシオスに幽閉されたダナエの部屋にゼウスが黄金の雨となって侵入したのである。

『ダナエ』 ティツィアーノ

 「高貴で理性を維持し……」以下はシェイクスピアの『ハムレット』の二幕のセリフに依っている。『新訳 ハムレット』(河合祥一郎訳 角川文庫 2003.5.25)から引用してみる。かつての学友で廷臣のギルテンスターンとローゼンクランツに対してハムレットが語っている場面である。

どうしてだか言ってやろう。俺のほうが先に言えば、君たちが王や王妃と結んだ密約をばらしたことにはなるまい。最近、俺は、なぜだかわからぬが、何もかも面白くないのだ。日課にしていた運動もやめてしまった。あまりにも気が重くて、このすばらしい大地も、岩だらけのがけに見えるほどだ。この類稀たぐいまれなる大気も、見たまえ、この美しい天空、金の炎のような星々がちりばめられたこの壮大な天井、それもまた、俺には、汚らしい毒気の集まりとしか思えない。人間はなんとすばらしい自然の傑作だろう。その理性の気高けだかさ。能力の限りなさ。形と動きの適切さ、すばらしさ。行動は天使さながら。理解力は神さながら。この世の美の真髄。動物のかがみ ー しかし、俺にとっては、何の意味もないちりかたまりにしか思えない。人間を見ても楽しくない ー そう、女でもだ。君たちのにやけた笑いは、女は別だと言っているようだが。

『新訳 ハムレット』p.80

 しかし「ぼくの母は王族の処女です」「そして僕の父は黄金の雨です」に関して異論を唱えているのが、短篇集『帰れ、カリガリ博士』(国書刊行会 1989.11.10)に収録されている「黄金の雨」を翻訳している志村正雄である。志村は注として「『アントニーとクレオパトラ』二幕五場のクレオパトラのセリフにかけてある。」としている。使者に対してクレオパトラが言うセリフを引用してみる。

口をきく前に打ちのめしてやりたい。
もしもお前が、アントニーは生きている、健康だ、
シーザーとは和解した、捕虜になってもいない、とそう言うなら、
黄金の雨と高価な真珠のあられ
お前の頭上に降らせてあげよう。
(CLEOPATRA
I have a mind to strike thee ere thou speak’st.
Yet if thou say Antony lives, ⌜is⌝ well,
Or friends with Caesar or not captive to him,
I’ll set thee in a shower of gold and hail
Rich pearls upon thee.)

『アントニーとクレオパトラ』松岡和子訳 ちくま文庫 p.86

 ピーターソンは母親と父親の話をしているのだから、ここは大津の意見の方が正しいと思う。
 解説で大津は「黄金の雨」に関して以下のように記している。

実存主義や嘔吐や不条理が流行語だった時期に、メディアに翻弄され、空しく抵抗し、正気を失って行く人間を描いたものであり、……

『20世紀アメリカ短篇選(下)』p.402

 「黄金の雨」は不条理が流行語だった時期に、不条理は「古代」にも「中世」にも存在していたもので、決して珍しいものではないことを描いているのだと思う。