ドナルド・バーセルミ『黄金の雨』と「現代」の不条理
アメリカのポストモダンの小説家の一人であるドナルド・バーセルミ(Donald Barthelme)の小説は、かつてはサンリオSF文庫でも出版されていたのだが、サンリオSF文庫自体がなくなり、ほとんどの作品が品切れ状態なのだが、それはバーセルミに限らずトマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)やジョン・バース(John Barth)やフィリップ・ロス(Philip Roth)でさえ文庫化はほとんどされておらず、やはりポール・オースター(Paul Auster)やカート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)くらいにリーダブルでなくては読者の獲得は難しいのである(かつてほとんどの作品が文庫化されたヴォネガットでさえ現在ではほぼ品切れである)。
だから岩波文庫の『20世紀アメリカ短篇選(上)(下)』(大津栄一郎編訳)はそれぞれの作家の短篇が読めるので便利なのだが、この文庫自体品切れである。
ここではもはや誰も読んでいないであろうバーセルミの1962年の短篇「黄金の雨(A Shower of Gold)」の感想を一応書いておこうと思う。
主人公で彫刻家のハンク・ピーターソンは「なにかについての十分に強力な意見をお持ちの人や、少し異常と感じられる個人的体験をお持ちの人」のテレビ出演募集の広告を見て、謝礼二百ドルにも魅了され応募する。自身の作品は「芸術」に対するこだわりが強くてあまり売れていないのである。
<私とはだれか?>という問いを巡って他の3人の出演者と共にポリグラフを付けられてピーターソンは出演したのだが、だんだんと不条理を感じ始め、司会者を無視して「きのうのこと」を語り出す。
最後のシーンを引用してみる。
訳者の大津はここで注をつけている。「ぼくの母は王族の処女です」「そして僕の父は黄金の雨です」はギリシア神話のダナエとゼウスの物語から採られ、父親のアクリシオスに幽閉されたダナエの部屋にゼウスが黄金の雨となって侵入したのである。
「高貴で理性を維持し……」以下はシェイクスピアの『ハムレット』の二幕のセリフに依っている。『新訳 ハムレット』(河合祥一郎訳 角川文庫 2003.5.25)から引用してみる。かつての学友で廷臣のギルテンスターンとローゼンクランツに対してハムレットが語っている場面である。
しかし「ぼくの母は王族の処女です」「そして僕の父は黄金の雨です」に関して異論を唱えているのが、短篇集『帰れ、カリガリ博士』(国書刊行会 1989.11.10)に収録されている「黄金の雨」を翻訳している志村正雄である。志村は注として「『アントニーとクレオパトラ』二幕五場のクレオパトラのセリフにかけてある。」としている。使者に対してクレオパトラが言うセリフを引用してみる。
ピーターソンは母親と父親の話をしているのだから、ここは大津の意見の方が正しいと思う。
解説で大津は「黄金の雨」に関して以下のように記している。
「黄金の雨」は不条理が流行語だった時期に、不条理は「古代」にも「中世」にも存在していたもので、決して珍しいものではないことを描いているのだと思う。