戦前の台湾で発売された戦時歌謡
戦前の台湾における流行歌について
戦前の台湾で歌われた戦時歌謡について紹介する前に、当時の台湾で発売された流行歌について簡単に解説したいと思います。
日本統治下の台湾では現地の言語である台湾語(もしくはホーロー語)や客家語で録音された流行歌等のレコードが発売されていました。1914年に日本蓄音器商会から台湾で初のレコードが発売されました。客家八音の楽団による演奏の「一串年」と「大開門」です。日蓄台北出張所の責任者である岡本檻太郎が客家の演奏家を15名日本に招いて録音したとのことです(國立臺灣歷史博物館,音樂博物館 第一張商業販售的臺灣音樂唱片 - 臺灣音聲一百年)。
それ以降、客家の音楽や歌仔戲、京劇、北管、南管と言った伝統的な音楽のレコードが次々と発売されました。
台湾で最初に発売された流行歌は秋蟾によって歌われた「烏貓行進曲(モダンガール行進曲、1929年)」です。補足ですが、当時台湾ではモダンガールを烏貓(黒猫)、モダンボーイを烏狗(黒犬)と呼んでいました。そして、1930年代に入り台湾語流行歌は黎明期を迎えました。1932年に中国映画の宣伝歌であった「桃花泣血記」が大ヒットしたことを皮切りに台湾語の流行歌の制作が活発になります。その中で鄧雨賢と言った台湾を代表する作曲家も登場しました。鄧雨賢が作曲した「望春風(1933年)」や「雨夜花(1934年)」は今でも台湾で歌い継がれています。
また、当時の日本で流行した曲もいくつかカバーされました。その中でも台湾でヒットしたのはコロムビアレコードから発売された「燒酒是淚也是吐氣(1932年)」です(台湾研究入門 [2020])。原曲は古賀政男が作曲し藤山一郎が歌った「酒は涙か溜息か(1931年)」です。この曲は同じく1932年にコロムビアレコードから蔡奎燁(채규엽、チェ・ギュヨプ)によって朝鮮語でも歌われています。古賀メロディーは地域を超えてヒットしました。
1930年代は台湾語流行歌の創作が活発になり、それらを発売するレコード会社も数多く生まれました。その中での代表格はコロムビアレコード(古倫美亞唱片)とビクターレコード(勝利曲盤)です。また、コロムビアレコードは廉価版レーベルとして黒と赤のリーガルレコードも展開していました。
台湾語の戦時歌謡
日本統治下の台湾で発売された戦時歌謡は非常に少ないです。その理由の一つに1930年代後半にかけて台湾語の流行歌が姿を消しつつあったからです。なぜ姿を消すことになったかは後程述べたいと思います。ここではニットーレコード(日東唱片)から発売された「送君曲(1938年)」と「慰問袋(1938年)」を紹介したいと思います。この曲は当時台湾で一世を風靡した歌手である純純によって歌われました。曲の分類は愛国流行歌です。純純はコロムビアレコード専属歌手ですが、なぜこの時期にニットーレコードから曲を出したのかは詳細が定かではありません。
※この曲の歌詞は様々なパターンが確認されますが、上記引用元がより正確であると思われるため、引用しました。
戦地へ発つ夫を送る妻の気持ちを歌っている曲であるが、どことなく哀愁漂うメロディーで歌われています。夫を応援する内容で歌われているものの、内心は悲しい気持ちがあることが冒頭の歌詞からうかがえます。当時レコードをする際に検閲が行われていたのですが、発売できていることから、無事に通過できたのだと思われます。
送君曲のB面では「慰問袋(1938年)」という曲が歌われています。こちらも純純によって歌われました。これら2曲はYouTubeでも音源を聞くことができ、歌詞の内容も判明しています。
その他、テイチクレコードから「東亞行進曲」や「憂國花」が1938年に発売されたそうです(林太崴 [2015])。こちらについては音源も公開されておらず、詳細については不明です。
軍歌に改編された台湾語流行歌
前述では台湾語の曲を紹介しましたが、戦前の台湾でヒットした台湾語流行歌が日本語の軍歌に改編されたケースもあります。1938年に「大地は招く(原曲:望春風)」、「誉れの軍夫(原曲:雨夜花)」、「軍夫の妻(原曲:月夜愁)」の3曲がリリースされました。これら曲の発売時期について1941年とする文献もあり情報が若干錯綜していますが、レコード番号を確認する限りでは1938年で間違いないです。音源はYouTubeで聴くことができます。
この時期に台湾語の流行歌が軍歌へ改編されたのは日中戦争と皇民化政策が背景にあると推測しています。この時期を境に台湾では本島人(当時の台湾人に対する呼称)の生活様式を変更させる政策が取られました。
1930年代後半になるにつれ、台湾語流行歌のレコードも徐々に姿を消すこととなりました。コロムビアレコードは1938年を最後に流行歌のレコードを発行することをやめ、廉価版レーベルである赤リーガルは1939年に台北で録音を行った26曲を最後に台湾語流行歌の発売を終了しました。ビクターレコードは1940年頃までレコードの発売を行っていたようです。
なぜこの時期に台湾語の流行歌が姿を消すことになったのかについて明確な資料はありませんが、日中戦争が大きな影響を与えた可能性は高いと考えられます。当時、台湾総督府は段階的ではなく一気に皇民化政策を進めました。しかしながら当時のことは未だに分からないことも多く、背景については更なる考察が必要です。
以上、戦前の台湾で歌われた戦時歌謡について簡単に書きました。当時の流行歌については近年台湾で研究が盛んになったものの、まだ詳細については分からないことが多々あります。研究が進むにつれ解明が進むことを願います。
参考文献・ウェブサイト
【日本語】
若林正丈/家永真幸 編 [2020]『台湾研究入門』 東京大学出版会
伊藤潔 [1993]『 台湾―四百年の歴史と展望』 中公新書
【中国語】
林太崴 [2015] 『玩樂老臺灣』 五南
【音源】
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