読書録/「深層」カルロス・ゴーンとの対話
◼️「深層」カルロス・ゴーンとの対話
起訴されれば99%超が有罪になる国で
郷原信郎著 小学館 2020年
2018年11月19日、ビジネスジェットで羽田に到着した日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏が側近のグレッグ・ケリー氏とともに東京地検特捜部に逮捕され、日本中に衝撃が走った。本書は、それから約1年後、保釈中のカルロス・ゴーン氏のインタビューをもとに、ゴーン事件の背景にある「闇」を明らかにしようと試みたものである。
しかし、本書はもう一つの衝撃によって幕をあける。2019年12月31日、保釈中だったカルロス・ゴーン氏が何らかの手段で不法出国。「私は今、レバノンにいる」というニュースが全世界を駆け巡った。これにより、郷原氏の出版計画は一時頓挫したようだが、その後レバノンにいるゴーン氏にテレビ電話によるインタビューを行い、国外脱出の理由を加えて出版された。
ゴーン氏逮捕を受けて、日産CEOの西川氏が行った記者会見をテレビで見ながら、私は「これはクーデターなのかな」と思ったことをよく覚えている。しかし、そのときは、逮捕容疑は脱税の類かと思っていた。ところが、その後の報道に接するうちに「うーん、それって社内で解決できる問題じゃなかったの?」と思うようになる。会社の資金を還流していたとか、豪華な不動産をブラジル、レバノンに会社のお金で購入していたとか。問題なのかもしれないけど、東京地検特捜部が逮捕しなければならないようなことか?と疑問に思い、それはずっと解けないままでいた。本書を読むと、それでも彼らが、それらを犯罪としなければならなかった理由が自ずから見えてくる。
本書に紹介されているように、日本では、何らかの容疑で逮捕され取り調べを受けたとき、容疑を認めると帰してもらえるが、容疑を認めないでいると、ずっと拘置所に留め置かれる、という奇妙な慣習がある。このことを知ったのは、痴漢の容疑で現行犯逮捕された青年が一貫して容疑を否認しつづけたことによる顛末を描いた周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」を観たのがきっかけだった。映画ではフリーターの青年が、痴漢容疑で拘留され、だれとも連絡できず、拘置所で何日も粗末な食事で過ごさなければならない様子が描かれていた。
ゴーン氏は、もちろん身に覚えのない容疑を全面的に否認した。だからといって、世界的な経営者である。まさか、あの痴漢容疑で捕まった青年のような扱いじゃないよね?と思いたかったが、似たり寄ったりの待遇だったようだ。一旦保釈を認められるも、新たに特別背任の容疑で再逮捕。二度目の保釈で、支払った保釈金は計15億円にのぼった。
容疑を認めない限り、拘留を解かれないというこの日本特有の司法は「人質司法」と呼ばれている。特にこのゴーン事件は特捜部の案件で、警察ではなく検察が捜査、逮捕、起訴をすべて担当する。そのため、逮捕したのに不起訴ということになれば組織のメンツに関わる問題となる。起訴されれば有罪率は99%以上といわれる理由はここにあるのだが、本書では、「検察の主張」と、公判前整理手続のために作成されたゴーン氏弁護人の「予定主張」を対比させ、双方の認識の大きなずれ、認知のゆがみのごときものを明らかにしている。
驚くのは、日産という会社組織が、おそらくはルノーとの統合を阻止し「日本の会社でありつづけたい」と願ったことに端を発し、検察という国家権力を使ってゴーン氏を会社から追い出したこと、しかも、逮捕されれば人権を著しく制限され、裁判に数年から数十年かかるためその後の人生に「塗炭の苦しみ」を与えることになる、とわかっていながらそうしたことである。
その結果日産はどうなったか。株価の暴落、販売台数の低迷を見れば明らかで、ゴーン氏は「このままなら2021年か22年には潰れるだろう」というほどである。コストカッターと言われたゴーン氏を追放して溜飲を下げた社員も多かったかもしれないが、その先に明るい未来はなさそうだ。
著者の郷原氏は、特捜部の扱う事件にはそもそも「被害」もなければ「被害者」もおらず、それは抽象的な法益を侵害したと理由で立件される犯罪なのだという。よくいえば「法の番人」だが、結果としてそれで守られるものは何なのか。被害もなければ被害者もいないならば、守られるのは、この場合なら「日産」とか「検察」という組織であって、人ではない。そして結果的に「中の人」が途端の苦しみを味わうならば、一体それは国にとって何の益になるのだろうか。
組織のために人が傷つけられ、死に追いやられることが、過去から連綿と続いてきた。国体維持のため「一億玉砕」を掲げた恐ろしい時代があった。しかし、このことを通して思うのは、人を幸せにしない組織、人を幸せにしない法の秩序に何の価値があるのだろうか、ということである。「塗炭の苦しみ」から逃れるために、ゴーン氏は敢えて不法な国外脱出を図り、成功した。この国に住む私たちはどうか。組織という空虚なものを守るためにする苦しみなど、必要ないのではないか。むしろそこから解放されて、一人ひとりのよりよい生のために、組織の力や法を用いるように、私たち自身が変わっていかなければならないのではないか。
ゴーン氏の事件から、そんなことを考えさせてくれる一冊となった。
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