読書録/サラリーマン球団社長
◼️サラリーマン球団社長 清武英利著 文藝春秋(2020)
正月に実家に戻ったとき、日頃は週刊誌などほとんど読まない母が「週刊文春」をテーブルに置いていたので、なにか興味のある記事でもあったのかと聞くと、ある連載を楽しみにしているという。それが、「サラリーマン球団社長」だった。阪神タイガースと広島カープ、2つの球団でそれぞれ親会社から出向して球団社長を務めることになった人物を追いかけたノンフィクションである。
といっても、ビジネスにもプロ野球にもさして関心があるとはいえない母が、なぜこの連載を楽しみにするのか、というと、取り上げられた人物にその秘密があった。阪神タイガースの球団社長が母の同級生で、今もフェイスブックでつながっており、そこで勧められたんだという。
野崎勝義さんという、その人の名前は私も聞き覚えがあった。阪神タイガースが星野仙一氏を監督に迎え、18年ぶりにリーグ優勝を果たした、そのときの球団社長だったからだ。その頃は私もファンとして、毎日かじりつくように野球中継をテレビで見ていた。これは読まなければ、と思っていたところ、夏になって単行本が出たというので、手に取った次第である。
取り上げられているのは、阪神と広島の2球団の社長で、他の球団にもサラリーマンで社長という人が当然いると思うが、この2球団は「とにかく、弱い」という共通項があった。しかし、親会社は阪神の野崎氏、広島の鈴木清明氏をそれぞれ、「球団を強くする、優勝させる」ために出向させたわけではなく、結果的には両球団とも優勝することになるのだが、それが「弱い球団を強くして優勝させる!」というシンプルで楽しいサクセスストーリーに終わらないところに、球団社長なのに「サラリーマン」というポジションの複雑さがあると思う。
それは、先日たまたま、今年就職して働き始めたばかりの年の離れた友人と食事をしながら、働く中で感じる無力感について分かち合ったこととも重なる。どれだけがんばって企画を立てたり、デザインをしたり、文章を書いたりして自分では「いいものができた」と思ったとしても、結局のところ、決めるのは上司であって「自分には決定権がない」。自分の良いと思ったものが評価され、「それでいこう」となればやる気が出るが、ダメ出しされて終わるということが続けば、それが徒労感と無力感とを引き起こし、「それなら、言われた通りにやっていればいい」と、従順だが無気力、無責任な人材を「作り出す」ことになる。
球団社長という「トップ」であっても、そうしたジレンマを免れ得ないのは、その上に「オーナー」という雲の上の存在がいるからだ。そして、プロ野球という世界を知り始めた頃、自分の球団の優勝を望まないオーナーがいること自体に驚きを禁じ得なかったが(その意味で、どんな手を使ってでも自球団を優勝させようとしたナベツネこと渡辺恒雄氏ほど純粋なオーナーはいなかったかもしれない)、球団を所有し、経営している立場からすれば、優勝して赤字になるよりも、そこそこの成績でもでも黒字で利益をもたらしてくれればいいという方針には一理あることも確かである。
しかし、「暗黒時代」と称される長期の低迷の中で、今までのやり方を続けていけばジリ貧となることが目に見えているのが明らかなとき、「決定権のない」立場で何ができるのか。今までとは違う方法で、もっとよい結果が出せる進路を選択「させる」ために、どのようにオーナーと向き合い、説得するのか。そんな、ゲームの勝敗の裏側にあるサラリーマン社長の闘いの行方に没頭しながら読むことができた。
顧客であるファンの満足度を高めるために有能な監督を招聘し、大幅に戦力の増強を図ったタイガース。選手の育成に力を注ぎ、選手との関係性を高めることで、市民球団としての魅力を高めたカープ。それぞれに取った方法は異なるが、現在、再び低迷しているタイガースと、長い低迷を抜け出して2016年から2018年まで3年連続リーグ優勝を果たしたカープとの間に結果で差がついている。これは球団オーナーの球団に対する姿勢、ビジョンの差というべきであろう。
実はタイガースは、巨人のような方法で優勝を果たしただけとも言えるのだが、本書では、それだけでなく常勝球団になるための秘策として、野崎氏の主導で、まだ当時どの球団も取り入れていなかった「セイバーメトリクス理論」による球団運営システムの導入を図っていたことが明らかにされている。「セイバーメトリクス理論」とは、野球のデータを統計学的に分析し、選手の評価や戦略を考えるという手法で、チームスタッフはコンピュータを扱えることが必須となる。この手法を用いて球団運営に取り組んだビリー・ビーンの活躍を描いた小説「マネー・ボール」は読み出すと止まらない面白さだが、とても皮肉なことに、私はこの小説を、当時タイガースに在籍していてニューヨーク・ヤンキースに移籍することになった井川慶選手のインタビューで知ったのだ。彼はこの小説を読んで、こんな理論的な分析のできる世界で野球がしたいと思った、というようなことを話していたことを覚えている。
当のタイガースで、球団社長が熱心にそのシステムを導入しようとしていたのに、チームのスカウトたちはこれを拒絶した。なんと残念なことだろうか。ここがサラリーマン社長の限界で、こういうことは、雲の上にいるオーナー自らがビジョンを持たなければ、無理なのだと感じた。
もう一つ、印象に残っているのは近鉄・オリックスの合併というところから降ってわいた「1リーグ制への移行」問題である。ここでもオーナーとサラリーマン球団社長との間に、ビジョンの違いからくる対立が生じた。そのことについて、詳しくはここには書かないが、結果的には2リーグ制が維持され、2004年当時よりも、プロ野球、とくにパ・リーグの躍進は目をみはるものがある。この合併騒動の結果、東北初のプロ野球チーム、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生したわけだが、このときの球団社長の踏ん張りがなかったら、私たちは、あの3.11の未曾有の大災害に見舞われた東北で、その2年後に初優勝を果たして、選手たちが野球を通して被災地の人々を勇気付ける姿を見ることもなかった。
こうしたことが、報われることの少ないサラリーマン球団社長の労に報いることになっていればよいなあと思わずにいられなかった。
(参考:読書録/マネーボール)
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