一つ屋根の下で鍋をつついて合宿するというのは、チームワーク形成のための古典的かつ実効的な方法なのかもしれません。
はじめに
私たちの今に残る身体的な特徴や生理現象は、人類の歴史の早い段階で生まれた可能性があります。特に、身近な人との関係を作るうえで大切なこと、目の「白目」とか「赤面する」とかの身体的特徴や生理現象です。音楽や踊りについても、ご先祖さまたちは「文字」が生まれるよりも先に共感や文化伝播に活用していたはずです。今の私たちは「文字で書かれたものに信頼を置きすぎる」のかもしれません。
ヒト以外の動物が「恥ずかしーΣ(゚∀゚ノ)ノキャー」と赤面することはあまりなさそうです。恥ずかしさのあまり赤面するのは、何らかの社会的な規範などが生まれて、それが共有されて、それに照らし合わせた自分の状態や行動がそれに合っていないために「恥ずかしい」となるのでしょうから、かなり高度な現象なのかもしれません。
五感と信頼感
親が子どもの顔や体を見て、赤かったり、青かったりするのを判断できるというのは子どもの生存可能性を高めるためにも重要だったはずです。あくまで統計的にというところで、女性の方が「赤」のグラデーションを多く認識できると言います。それだけ人の感情の変化を繊細に見極める必要があったのかもしれません。
五感のうち、「視覚」と「聴覚」から入ってくる情報は人との共有がわりと簡単かもしれません。テレビを観たり、映画を観たり、音楽を聴いたりと、インターネット時代においてはますます視覚、聴覚の情報が押し寄せるでしょう。
一方で、「嗅覚」「味覚」「触覚」は離れた人と共有することは少し難しいです。狭い部屋で誰かが「おなら」をして、「くさっ」と思うというところでは嗅覚は共有できるのかもしれませんが。嗅覚は文字情報よりもリアリティを呼び起こします。そのうち、テレビから「匂い」が流れてくる時代も来るのでしょうけれど。臭いも味も、過去の記憶を呼び起こしたりする力がありますね。
「触覚」は共有することが難しいですね。触っているほうと、触られている方が同じ感触を共有することは出来るのでしょうかね。いずれにしても、マッサージを受けるとオキシトシンが出るといいますし、触覚は関係性を構築するためにもやはり重要なのでしょう。
共有することで確認する信頼
共有することが難しいものを共有しようとする。分けることが難しいものをあえて分けることで、信頼関係を確認しようとする行為は古今東西で観察されます。空気を分ける=たばこの回し飲み、液体をわける=お酒の回し飲み、食べ物を共有する=鍋。まあ、何でもいいのでしょうけれど。
けっこう、一つ屋根の下で鍋をつついて合宿するというのは、チームワーク形成のための古典的かつ実効的な方法なのかもしれません。ドラマ「ノーサイドゲーム」でもそんな話がありましたね。
いま、なかなかこうした密なことがやりにくくなっていますけれど、長期的にこのような状況が続くことは、ヒトの社会にとって結構ダメージが大きいのかもしれません、社会の状況が好転したら積極的に信頼関係回復プログラム(BBQ、鍋、一口ちょうだい)をしていきたいです。
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