OH!へんろ。親子の88か所巡り(39番札所):赤亀山 延光寺(高知編:完)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

いや、書き始めてしまぅた時はどうしようかと思いましたが、高知編が終了しました。

これを書いている時はだいたい統計の数字や数式を眺めたりしている時の合間で、心の切り替えに良いことが実感できました。

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今日の煩悩:

パラオは母系制の社会(厳密にいうと少し違うと思う)とされています。もともとの仕組で言えば、「母親と娘はずっと一緒」に暮らします(父系性では娘は他所の集団に移ります)。実際はだいぶん柔軟になってきています。

昔のパラオでは女性が表立って政治リーダーになることは好ましく思われませんでした。なので、近代になっても女性が政治家になることをあまり良く思っていない人もいました。しかし、独立後は副大統領にも国会にも地方議会にも女性の議員はいましたし、今後も増えていくことでしょう。

母系社会なパラオですが、なぜ女性の政治家がいなかったかと言うと、男性の伝統首長(チーフ)を育て、選ぶ権限を持っていたのは女性の伝統首長だったし、男性のチーフの素行が「宜しくない」と判断された時には女性の伝統首長の命で「首を挿げ替える」ことが出来たために、政治的なことをコントロールできたからかもしれません。

古今東西、権力を持つと「やっつけられてしまう」のです。権力を持たない権威はコテンパンにはやっつけられません。パラオの田舎には昔の首塚が残っています。パラオの男性も、聞くところでは、こぞってはチーフに選ばれたくなかったそうです。

屈強な男同士の争いは血を見ることになりかねませんが、村同士の争いなどに「おばあちゃん」が出ていくことで、お互いに戦意喪失です。平和裏に落しどころをつけようとします。パラオでは「おばあちゃん」は強いです。

パラオの古い文献を読んでいた時に、なぜ、女性が選挙に出ないのかという話についてある男性が答えた言葉が書かれていました。

選挙では相手の悪口(じゃないもしれないけれどね)を言い合う。尊敬される村の年配女性が悪く言われるのを見聞きすることに耐えられないと。

アメリカの自由連合国として独立して以来、パラオの社会も、変わらぬところも残しつつ、変化してきました。その生活の中での価値観にあった仕組みを今後も作っていくことでしょう。

さて、日本も選挙です。

デボラ・グル―ンフェルドが『スタンフォードの権力のレッスン(Acting with power)』(ダイヤモンド社)で面白いことを言っています。

彼女は自分の研究から言えることとして「人生の成功や影響力、満足をもたらすのは権力の大きさではないし、人からどれだけ権力を持っているかと思われるためでもなく、その権力を使って他者の為に何ができるかである」と。

しかしながら、私たちは権力を「個人が自由に使える資産」であり「自分を強くするための資源」だと考えるようになってしまった。そして、「権力の獲得が、いつのまにか自己目的化してしまった」と。そして、

目標を達成するためには権力が必要で、どれだけの権力を持っているかで人間の価値が決まるという神話を信じている。高い地位に就き、常に優位に立つための努力しなくてはならないと考えている。成功の鍵は大きな権力を、何としても早く獲得することであり、大きな権力を持った者が勝つという古い考えに縛られているのだ。(同上書、13-14頁)
その考えは、ただ間違っているというだけでなく、悪い結果を招きさえする。(同上書、14頁)

良きリーダーとはどのような人なのだろう。

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御詠歌:

南無薬師諸病悉除の願こめて 詣る我が身を助けましませ

本尊:

薬師如来

創建:

神亀元年(724)

真言:

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

歴史:

縁起によれば、神亀元年に行基菩薩が、聖武天皇(在位724〜49)の勅命で薬師如来像を彫造し、これを本尊として開創しました。延暦年間(782〜805)に弘法大師がこの寺を訪ね、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えました。この時に、大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が、今日に伝わる「眼洗い井戸」とのことです。

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所在地:

高知県宿毛市平田町中山390

駐車場:

無料



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