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脳はなぜ心を作ったのか
自分なりの心当たりはあるが、この面白い題名に興味を惹かれて購入した。
元来生物として存在する人間は、生存と繁殖にしか興味がないはずなのだ。
体内電位差を計測すると、まず腸に信号が発生すると遅れて脳に伝達する。
つまりお腹が空いたら、腸から脳に食事を取る努力をしろと連絡が行く仕組みだ。
脳はいろいろ手段を講じて、餌を調達する。
高等生物の植物は移動しなくても生存可能な養分はその場で摂取できる。
機能低下した動物はその場にいたのでは栄養補給ができないので、移動して餌を捕獲しなくてはならない。
餌を調達するために、その都度行動計画を立てていたら、獲物を取り逃すので初動はルーチンワークを決めたのだろう。
その後、餌を取り逃した失敗を繰り返さないように反省をしたのだと思う。
その反省が『心』の始まりではないかと考えていた。
繁殖についても高等生物の植物はその場を動かなくても繁殖のチャンスはある。機能低下した動物は、手段を講じて繁殖の機会を作らなくてはならない。
失敗を繰り返し『心』が生まれたのではないかと考えてページをめくった。
前野隆司氏の、”脳はなぜ「心」を作ったのか” を読み進めていくうちに、脳が意志の中心であるような記述が多いことが気になり出した。
指を動かし始めたあとで、動かそうと意図する「私」の項でリベット博士の実験に及んでいる。
心が「動かそう!」と思うのが全ての始まりなのではなく、それよりも前に、無意識化の脳で、指を動かすための準備が始められているというのだ。 そんなばかな。
私の考えでは脳は起動ではなく後付けなのだから、そこが解決しないとコンピュータは自分で起動できないことになる。
人間は結論が見えてなくても行動できるが、AI は人間が起動しないと動かない。
もう一度、この本を読み返してみようと思うが、脳が主体になっている立場をとっているようなので別の脳科学の本を読みたくなっている。