朝倉宮
古代史を調べていると必ず出てくるのが朝倉宮
斉明天皇が崩御されたところとして記録されているが詳細がわからない。
AI は全く答える気がないようで、嘘ばかり並べてくる。読むと頭が混乱するので途中で廃棄した。
本棚から数冊古事記関係を引っ張り出してきた。
古事記なら津田宗吉を読まなければ意味ないが、その本がどこにあるか見当たらない。
テニした本に、気になるところがマークしてあるので目を通してみた。
斉明天皇は皇極天皇が重祚された天皇で、天智天皇、天武天皇の母であり、朝鮮に積極的に関与していることがわかる。
豊璋を百済に送り返したり、白村江を戦ったり、随分と重要な働きをしている。
朝倉に朝倉橘広庭宮をこしらえ、2ヶ月で崩御されている。
日本の歴史の中で非常に重要な地位にあられ、重要な仕事をなさった方に資料が残されてない。もしくは公開されていない。
朝倉市の歴史資料館には重要な資料が残されているようだが、もう一度朝倉を訪ねてみたいと思っている。
斉明天皇の子供の天智天皇は平城京、天武天皇は平安京へ遷都した。奈良の仏教勢力を嫌って京都へ移ったと言われているが、京都にも寺院は多い。
奈良と京都は、兄弟で同じと語られているようだが、食事が全く違う。
2・3度奈良で食事をしたことがあるが、2度と奈良では食べたくない。
和歌山に出るか大阪に行くか三重県に抜けるまで我慢することにしている。
奈良から京都へ都が移っただけだと考えていたが、全く違う食文化を目の前にして、もう少し深い意味があるのではないかと考えている。