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専門家
最近やたらと『専門家』と呼ばれる人たちがマスコミでメッセージを発信している。
諏訪に関心を持って読書を重ねるうち、水谷勇夫氏の『神殺し縄文」にたどり着いた。序文に
人間は合理性だけでは生きていけない。異常性を必ず併せ持っている。人間のこの異常性こそが「飛び跳ねる論理」に他ならない。それはもとより論理的ではないが、論理を飛び越える論理なのである。そしてそれこそが人間の本来持っている芸術性であり、縄文人はそれを誰もが持っていた。(神殺し縄文 水谷勇夫)
素晴らしい言葉で、感銘を受けている。
画家であった水谷氏が、独学で歴史学の博士号を取り、大学の講師を務めていながら、アカデミックな世界に属さず自由な研究をしていた。
学歴などなくても絵は描けるし、研究もできる。むしろアカデミックな研究者でないからこそ本当のことが見える、彼はそう考えていたし、それを実践した。(神殺し縄文 水谷勇夫)
これらを読んで専門家とはなんだろうと考こんでしまった。
今までの一般通念として、専門家とは提起された問題を解決する能力を持った人と解釈していた。
しかし、今のコロナウィルスの問題にしても、専門家と称する人がいろいろなことを発信している。解決のめどは立っていない。
ワクチンの製造が優先されていて、治療薬についてはあまり急がれていないように見える。
治療薬は限定的に患者に直接使用され、効果はすぐに確認できる。ワクチンは全人類が対象になり、効果があったのか無かったのかわからない。
ただ薬品メーカーの利益は途方もないものになっている。
仮説:専門家とは利益集団であって、ある問題に対して、対処法を決定する権限を持っているが解決策を持たない人。
歴史書を読み始めて強く感じている。