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争いの原因
今日、面白い本を入手した。
著者は、現在日常に起きている現象を大まかに照準を当てて解説している。
誰かが陰謀を巡らして、利益を貪っているという考え方だ。
基本的に正しい方向を目指していると思うが、なぜこうなるか原因の視点が描かれていない。
気づいているのだけれど、あえてそこに視点を当てないようにしているのかもしれない。文脈が気になる。
どうしてこのような書き方になるのか、気になったので元職を見てみると、證券会社の職歴がある。それで納得した。
怒濤の如く押し寄せてくる大量の情報を、手元にある機能で、一つ一つ気になったものから順にチェックして原因を探るという方式のようだ。
しかしその文脈の中に重要なコメントが残されている。
世界貿易センタービル・同時多発テロについて言及しているが、滞在しているアメリカでアメリカ人の隣人に自分の身を守るために銃を買うことを何度も念押しされたそうだ。
そして銃の保管場所を
「一番上の引き出しに入れてね、聖書の横よ」
と、何度も念押しされている。
聖書の横なのだ。
これに関連して思い出すことがある。
ブッシュ大統領(当時)がイラクへ出発する兵士に向かって『神のご加護を』というのを聞き逃さなかった。
この2点から分かるように、国際的な争いはほとんど、宗教がらみなのだ。
世界的には宗教のある国と宗教のない国がある。
そして宗教のない国は野蛮な国だというのが通説になっている。
我々日本人は、気付きにくいのだが、日本には宗教がない。なかった。
『神道があるではないか』という人がいるが、神道であり、神教ではない。
神道には教えもなければ聖書もない。
日本人は自分で自分を律していた。
間違いが起これば自分のせいだと思い、身を正し、汚れを漱ぐために神社へ行く。決して人のせいにしない。
宗教は違う。
全てを他人のせいにする。
善と悪を決めて善に従わせる。
善に従わないやつは悪なので滅ぼして良いことになっている。
この『善』は時代や時の権力者の都合によっていつもコロコロと変化している。
そろそろ自分の頭で考えても良い時代になってきたようだ。