見出し画像

臆病者だけがもつ勇気

石丸伸二なる人物が話題となっている。久々に民意を表示する機会を得たことで、日本人の1割を占める都民は嬉々としている。自分もその一人だ。個人的には前回、前々回の都知事選挙は投票したくても日本にいなかったり、海外赴任からの帰国直後で選挙権がなかったりで、2012年以来ということもあいまって。

普通、最高学府を卒業し、大手企業に就職すれば、人生ほぼ安泰だ。この人を突き動かすものは何なのかとても興味がある。石丸氏は、米国で暮らしたことで日本のそして故郷の素晴らしさを実感したという趣旨のことを述べている。日本を離れて初めて日本を知るし、自分が日本人であることを理解するのは、自分の経験上もよくわかる。しかしそれだけで、人もうらやむキャリア、安定した人生を全て差し出す勇気を持てるだろうか?それを差し出して、引き換えに受け取るモノは彼にとっていったい何なのだろうか?

国政の代理戦争というチープな言葉では表現しきれない。全有権者の1割に相当する民の意見は控えめに言っても国政そのものだ。それに、私自身を含め、地方出身の都民は大勢いる。東京から千キロ以上離れた故郷に住む叔父が「石丸伸二をぜひ勝たせてほしい」とわざわざコンタクトしてきた。彼は東京とはまったく無縁の人である。

日本国憲法 
(前文)日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

改めて読むと味わい深い文章である。日本国憲法の前文は、法律における目的条文と読み替えても大きな問題はないだろう(憲法学者の先生方にはお叱りを受けるかもしれないが)。

冒頭の、”正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し”、はとても重い。いまの国会議員に、全国民を代表している自覚いや、覚悟はあるだろうか?

太平洋の向こう側では、認知機能がより劣っていない方が有利な選挙となるらしいが、我が国も他人ごとではない。いっそのこと、公職選挙法を改正して、被選挙権に年齢上限を設けるのはどうだろう。職業選択の自由を保障する憲法に違反してしまうだろうか?もしそうだとしたら、その部分だけ憲法を改正すればよい。国民は喜んで改正に賛同するだろう。

日本国憲法
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
つまり職業選択の自由には、公共の福祉に反しない限り、という制約がある。

閑話休題 誤解を恐れずに言えば、ひょっとしたら石丸氏は人一倍臆病で、心配性なのではないか?だからこそ、日本の未来を憂い、人知れず悩み、苦しみ、最後の手段に出たのではないか? 彼が引き替えに手に入れる何かとはきっと、”ただただ安心すること”、に違いない。本当に退路を断てる勇気とは、実は臆病者だけがもつ勇気なのかもしれない。

イタリア人フットボーラーロベルトバッジオの名言がある。
「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?