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目指すべき死

昨日は投稿しようとしてたんだけど

一日家族で遊びまわって帰ってきたら

母より「祖父が亡くなりました」

とlineが。


7月ぐらいにふと思い立って祖父祖母に会いに行った。
その時の爺様はすでに脳梗塞を患っていくらか時間がたっていたけど、半身麻痺・失語症から割と回復しており、歩けるぐらいにはなっていた。

しかし、何度か転んでいるうちに自信を無くしたのか何に関してもネガティブで外にも出ようとしなくなっていたと。

そこで、昔からの行きつけだった「赤い屋根」というカレー屋さんに連れてこうと思って帰郷。

半ば強引に2人を連れ出し、私の車で赤い屋根へ。

私自身も15年ぶりぐらいのお店だったので楽しみに言ったんだけど

着くなり祖父大号泣。昔なじみの店員さんから「あんたよく来たねぇ」と笑顔で迎えられ、さらに号泣。

変わらない味のカレーを食べ、やっぱり全部は食べられなかったけど
少しだけ笑顔を見ることができた。

次の日は仕事だったからそのまますぐに帰ったんだけど

どうやらその直後に心筋梗塞で運ばれていたらしい。
奇跡的に回復し、退院。
家で過ごしていたらしい。

そして昨日。

祖母と3階の寝室で会話をしているときに、急に眼をカッと見ひらいて

そのまま逝った。


私の介護士としての目指すべきところは「より良い死」


爺さん。素敵だよな逝き方。
頑固一徹、自分で会社をやっていた人だから大変だったろう。

昔ながらの人で、時にはばぁさんにキツイ物言いしてたけど
ばぁさんの事、大好きだったもんな。

そんな一番愛する人との会話の中で静かに逝けるなんて

憧れしかないよ。


介護を始めて10年強。

色々な死に方を見てきた。

人よりも死に直面する機会が多かったから

中には非現実的で、何か神秘的なものを感じざるを得ないとんでもない死に方も見てきた。

けどね、数ある中でも一番、一番素敵で、愛のある逝き方だと思うよ。

これを書きながら鳥肌が立ってる。

世の中にはあふれていることかもしれないけど

素敵な愛だなぁ。


7月に私が思い立ったのも何か、虫の知らせ的なもの。

ふと思い立って動いたもの。

そういうの一つ一つを考えると、やっぱり「死」っていうのは

何か残念な事柄であるべきではないと思う。


「死」ってのは何かを失うことだから、イメージはマイナスかもしれないけど。

幸せな死、愛のある死

ってのもあるような。

すごく良い体験だった。


爺さん・婆さん。

お疲れさまでした。

ほんとうに心より尊敬しています。


終わり。