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あなたはどっち?
小学生の頃、遠足で登山に行く場合、出雲三山に登ることになっていた。
大黒山、高瀬山、仏教山を称して、出雲三山と呼んでいた。しかし、これは広く知れ渡っている公称ではなく、ぼくがそう呼んでいるだけだ。だから万が一、出雲にいらした方が「出雲三山はどこでしょう?」と尋ねられても、きっと出雲の人はキョトンとするに違いない。
まぁ、それはいいとして、この三山の中でも大黒山はぼくらが初めて小学校の遠足で登る山として知られていた。
この大黒山は斐川町の南東部に位置する標高315mの山です。神代の昔、大黒さんと言われている大国主命がスクナビコナの神とこの山に登り、出雲の国に稲作を広めたり、海のものを多く取ったりして国を豊かにしよう、と平野や内海を眺めて相談をなさったところ、といわれています。
頂上近くには大きな岩がありますが、その岩が二神がお立ちになって国内を眺められたところ、といわれています。また大国主命や出雲の国造りに協力されたスクナビコナの神をおまつりしたのが兵主神社(ひょうずじんじゃ)です。
この山頂は急なため、雨のため土砂が流れると山が低くなるので、大国主命は大変おなげきになるので、参拝する人々は砂をもって登るのだそうです。そうすると不思議に災いがなくなり、作物もよくできる、という言い伝えがあります。
大黒山は大国主命とスクナヒコが国造りを始めるにあたって、この山に登り、相談したとされている。もちろん、小学生だったぼくがこのことを知っていたわけではなく、大人になってから改めて登って知ったことである。でも地元にこういった伝説が残っているのは誇らしいことで、ぼくの子供達には登山のたびにこの話をし、鼻高々になったものだ(なぜ、お前が鼻高々になる!)。
こういった伝説は、実はあちこちにあるもので有名なのが静之窟(しずのいわや)である。
静之窟は、島根県大田市静間町魚津の海岸に存在する海食洞(奥行は約45m、高さは約15m)です。出雲神話において大己貴命(おおなむちのみこと)(若いころの大国主命の名前)と少彦名命(すくなひこなのもこと)が国造りの際に石窟を仮住まいとしたという伝承が、ここ大田市の静之窟にも残るのです。
ぼくも前からこの静之窟(しずのいわや)については知っていたけれど、まだいったことがない。というか、ひいき目ではあるけれど、どう考えてもこんな洞窟で大国主命とスクナヒコが国造りの相談事をするかなぁと疑問に思うのである。それよりは大黒山山頂で広くあたりを見下ろして、大国主命とスクナヒコが国造りについて相談し合ったと考えたほうがしっくりくるのではないだろうか。
*
ところがである!
あろうことか、静之窟伝承は正統ではないかと思われている節がある。それがなんと、ぼくが最近読み始めた「万葉集」にでてくるのである。
万葉集三巻・355
大汝少彦名のいましけむ志都の石室は幾代経ぬらむ
(おおなむちすくなひこなのいましけむしつのいはやはいくよへぬらむ)
訳 大国主命とスクナヒコがおいでになったという志都の石室は一体幾代をへていることであろうか
なんてこった! 万葉集で正式に静之窟のことが掲載されている。それにくらべて、大黒山は伝説(誰が伝えたの?)にすぎない。
あなたはいったいどちらを信じる?
万葉集か? ぼくか?
そりゃ、万葉集だろ!!(by ヒトコトヌシ)
ゴーン
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
出雲にお越しの際は大黒山、静之窟
お好きなところへおいきなさいませ♪
それではお待ちしています m(_ _)m
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えてます
よかったらご覧ください ♪