見出し画像

僕はあなたの瞳にどう映っていますか?

 人を見かけで判断してはいけない。

 そういいつつも、けして自分は人を見かけで判断していないといいきれるだろうか。

 数年前に起きた四国(詳しく述べると差し障りがあるので、これくらいの範囲で話をさせてください)での殺人事件の話をしたい。

 被害者は老婆で、当時、加害者はその息子ではないかとTVでは騒いだ。その息子は「自分はやっていない」といっていたが、取材者への対応のまずさのせいか、TVは犯人と決めつけたかのように報道したと記憶している。

 さらに、悪いことに、その息子の人相が、いかにも犯人であるかのような悪人面(すいません)で、何も知らないはずの僕も、この人が犯人に違いないと思いながら、その番組を見ていた。

 ところが事態は、思わぬ方向に進む。

 真犯人が見つかったのである。

 ・・・僕は驚いた。

 そして、深く悔いることになる。

 人を見かけで判断してはいけないと、わかったつもりだったのに、何のことはない、僕は何もわかってなどいなかったのである。いかにもその息子さんが犯人であるかのように情報操作されていたとはいえ、いとも簡単に騙されるのである。実に、情けない。

 その息子さんにもし会えるなら、視聴者の一人として今でも謝りたいと思う。

 

 昨日、書いた「初めての神様へのお願い」で、ひとつ言い忘れていたことがあった。

 語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)が、神様達にお願いすると、百匹余りのワニが静かに一匹のワニを取り囲み、語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の居る場所から動こうとしなかった。
 そこを鉾を挙げて、中央にいるワニを刺し殺した。その後、百余りのワニは散らばっていき、刺し殺したワニの腹を割くと、娘の片脚がワニからこぼれ出てきた。

 その百匹余りのワニたちのことである。彼らは普段から人を食べるサメであり、なぜこのような行動に出たのか謎であった。神様の願いを聞いたと言えば、そうかもしれない。しかし、僕はそこに、彼らの言い分を感じ取るのである。

 ワニだって、すべてのワニが悪いわけではありません。中には悪いやつもいますが、私たちを見かけや思い込みだけで判断しないでいただきたい。そういう風に聞こえる。




こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています

よかったらご覧ください ♪


いいなと思ったら応援しよう!