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完璧な物語とは?

先日、NARUTOにはまって、NOTEをしばらく休んでいたという記事を書いた。

その後、考えてみたのだけど、長期連載している人気漫画は物語の都合上どうしても設定が複雑になっていく傾向にあるような気がする。昔はそれほど50巻以上の漫画って少なかった気がするけれど、今では100巻を超える漫画もちらほら見受けられる。それだけ人気があるということなんだろうけれど、ぼく(個人的に)は10数巻で終わる漫画のほうを好む傾向にある(残念ながらぼくの集中力が続かないというのもある)。

ジャンプで長期連載といえば「両さん」だったけど、今は「ワンピース」だろう。「両さん」は基本的に1話完結だったので、連載ものでは「ワンピース」がダントツであろう。ぼくも「ワンピース」を集めていたのだけど、途中(ドフラミンゴあたり)で挫折して、あとは甥っ子に任せてある。「ワンピース」の連載も佳境に入っているようで、これまでの伏線回収が毎週にわたって掲載されており、ネットでは毎週盛り上がっている。

この伏線回収ということば、最近よく目にするようになった。おそらく長期連載につきものの問題なのであろう。伏線回収がうまくいかないと、その作品は駄作のレッテルを張られることになる。



noteでのぼくの文章をどのような年代のどのような性別の方が見ているのかわからないので、ここは少し説明したい。

ぼくは子供の頃から、「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画を愛読している。

一応、アニメにもなっているし、35年も続いている漫画なので、知っていらっしゃる方も大勢いるのかな。現在も続いている人気漫画で、主人公が次々に代わっていく、珍しい漫画。

初代の主人公・ジョナサンが死んだときは、次の週から(最初は週刊ジャンプに掲載されていた)第2部開始と書かれていて、主人公はどうするの?と思ったことが今では懐かしい。

ジョジョを特徴づけているものとして挙げられるのが、スタンドという能力。3部から登場した能力で、精神エネルギーを具現化したもの。これまで様々なスタンドが出てきたので、それだけ見ていっても実に面白い。

現在、8部まで続いていて、ようやく8部が完結したところ。その8部「ジョジョリオン」が実はとても評判が悪かった。

よく言えば賛否両論、しかし圧倒的に否定のほうが多かったと思う(どうでしょう?)。


特にその理由として目立つのが、伏線回収がなされていない部分が多いということ。物語はこの伏線回収が完璧に行われているほど、よい物語であるらしい。この伏線回収がきっちりとなされていない物語は、ほころびや破綻が生じているものとみなされる。

この伏線回収については、実に時代的だなぁと思う。SNSが一般化すると、特に顕著になった。あちこちに考察班が出現し、伏線考察し、毎回ツイッターなどでそのなりゆきについて盛り上がる。まさに流行の最先端といってもよい。

確かにその線でいくと「ジョジョリオン」は伏線回収できていない部分が多いのは確かである。でも出雲神話に日頃から慣れ親しんでいるぼくとしては、ちょっとそこまで声を荒げなくてもという気持ちになってしまう。だって、出雲神話なんて、伏線回収できていない代表的な物語だと思うから。



出雲神話に高天原でのスサノオとアマテラスの姉弟喧嘩の話がある。これもそもそも不思議な話である。母の国である出雲に行きたいと泣いていたスサノオは、ついに出雲行きを決意し、アマテラスにお別れの挨拶にいく。それをアマテラスはスサノオが攻めてきたと勘違いし、武装体制で待ち受ける。

すでにおかしいでしょ、アマテラス。お別れのあいさつに来ただけなのに、武装体制って。スサノオは謀反のつもりで参ったのではないのですと釈明する。ここで伝説となっている誓約(うけい)の物語が始まる。

「あなたの行動が謀反でないとどう証明するのですか」と問われたスサノオは「誓約(うけい)を立てて子を生みます」と宣言する。

アマテラスはスサノオの持っていた剣を3つに砕き、水で注いで口に含み、吐き捨てた息の中から女神が3人現れた。

それではと、スサノオはアマテラスのもろもろの装飾品をかみ砕き、水で注いで口に含み、吐き捨てた息の中から男神が5人現れた。

アマテラスは「自分の持っていたものから生まれたのが男神だった、そしてあなたの持っていたものから生まれたのが女神だった」と発言。

すると、スサノオは「自分の心が謀反の疑いがないから女神が生まれたのです」と勝利宣言。

勝った、勝ったとばかりに突然、勢いに任せて乱暴狼藉を働くスサノオ(今、ここでは割愛するが、それは本当にひどい乱暴行為だった)。

いや、まったくわかりません、この物語。

そもそも勝つため(謀反の心がない)の条件ってのがまったくでてこない。何の説明もなく、乱暴を働いたスサノオは責めを負い、出雲に島流しも同然の扱いを受けている。もし、ジャンプ編集部にこの物語の原稿を持ち込んだら、100%投げ返されますよ。

当然、今に至るまで学者たちの間でもこの誓約に関する物語は意見の割れるところとなっている。どうですか、これが出雲神話(いばるところでもないが・・)。

というか、だからこそというべきか、今に至るまでこの物語を楽しむことができるのだといいたい。

物語というものは、本質的に矛盾を含んでおり、その矛盾を解決しないまま我々に提示するからこそ、謎は謎としてずっと愛され続けると思う。

それこそが物語の神髄であり、伏線回収なんて些細なことなのではなかろうかと、小さな声で言いたい。

 


出雲にはスサノオとアマテラスの姉弟喧嘩なんてなかったかのように2神を祀ってある神社がある。それが日御碕神社


仲たがいをしたはずなのに、こうやって仲良く一緒に祀られている姉弟神。こういうのが趣があると思いませんか(どうでしょう)。


さて、「ジョジョリオン」のことである。

もちろん、ぼくはこの作品を名作に挙げたいのだけど、このnoteでは出雲神話がテーマなのであえて、申しません。いずれ時の試練を経て、名作になることを願って今日は筆をおきたいと思います(今では筆をおくって、死語ですね)。



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 
 
よかったら、日御碕神社にもいらしてください。
姉弟喧嘩で悩んでいる方はきっと嘘みたいにすっきりとして帰れるかもしれませんよ。

それでは、お待ちしています。




こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
 よかったらご覧ください ↓ ↓ ↓


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