僕のnoteはオモチャ箱
|絵と文の「二足のわらじ」が悩ましい
プロフにもあるとおり、私はイラストレーター兼インディーズ作家の二足のわらじを履く存在である。
そのため、ポートフォリオの類いには常日頃から頭を悩ませている。
ポートフォリオはシンプルならシンプルなほど、クライアントにとって都合が良いからだ。
クライアントは膨大な情報の中から依頼者を決定するので、極力その選定に労力を使いたくない。低カロリーを良しとする。
人間は、混在したものを個々に評価することが苦手だ。
直感的に分からないものを忌避さえする。
ポートフォリオに限らない。
このnoteだって、おおむね皆さん、テーマや表現方法には一貫性がある。
直感で分からないものを、どうまとめようがある?
まとめてもいいのだが、そもそもの用をなさなくては何の意味もなくなってしまう――。
これは私にとって、果てしなく答えの出ない、悩ましい問題なのだ。
|「絵」と「文」は、統合出来ないくせに、分離も出来ない。同じ腹から生まれた兄弟だから。
さいきんの私は、デジタル断砂利と、新サービスやコンテストに手を出したりと、急激な新陳代謝を行っている。
これは、今まで使っていたサービスが陳腐化してしまったことだけでなく、あまり使わなくなったサービスや、やりっぱなしで更新しなくなったブログ、途中で飽きたり撤退した自サービスの広報サイトやアカウント等々を整理する必要が生じたからである。もっと言えば、セキュリティ上の理由で利用を憚られるサービス(FB)なども含まれる。
それともうひとつ。
今まで何度も統合と分裂をくり返してきた、私の作品置き場やポートフォリオを今度こそちゃんと統合しようと、今度こそ不毛の努力にしないためにと、使わないサービスを統合し、記事を移転させたり、ポートフォリオのポートフォリオおまとめサイトを作ったり、やればやるほどカオスになる情報に頭を抱えつつ、公立学校のように廃統合作業をやりまくっているのである。
これが、リアルに身体の新陳代謝ならどんなによかったろう、と思わなくもないけれど、頭がボケるよりはいいかな、と自分をなぐさめながら、苦しい作業に勤しむ今日この頃である。
いまだにこれで良かったのか分からない。
だけど、いまは今の選択肢に自信を持とうと思う。
こんな混濁した人間でも、noteなら大丈夫な気がするから。