樗堂一茶両吟/蓬生の巻 10
早苗饗の日と契たる中なれハ
身はぬれ鷺の夕暮の声 樗堂
初ウ四句、「植え田のあとに濡鷺が」と。
〇
身は
「やつし」の境遇。
ぬれ鷺の
濡鷺は、情景情感、そのこもごもをとり合わせた、ある種のカテゴリーとでも。例えば、造園で「濡鷺」と云えば「濡鷺燈篭」のことだったように。
夕暮の
たそがれときの。
声
つま呼ぶこゑが。
〇
さなぶりのひとちきりたる/なかなれは
みはぬれさぎの
ゆふくれのこゑ
古今六帖「高島やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを」とか、枕草子「鷺は いとみめも見ぐるし まなこえなども うたてよろづになつかしからねど ゆるぎの森にひとりはねじとあらそふらん をかし」とあるように、おそらく、そうした鷺の鳴き声を句にしていたのでしょう。
あるいは、正徹「種おろす苗代水にゐる鷺のいさなとるをもたつる里の子」なども<情景>としては近かったのかもしれませんね。
〇
とは云え、情感のこもった二畳庵の句ですから、はるか後の代のことながら、松山の鷺のエピソードをいくつか。
明治になって道後温泉本館が建築され、鳥が病を癒した故事により、屋根の一番高い場所に<鷺が舞う姿>の彫刻が置かれました。子規は、
久方の星の光の清き夜にそことも知らず鷺鳴きわたる
足なへの病いゆてふ伊予の湯に飛びても行かな鷺にあらませば
と。
また、句には、
翡翠も鷺も来て居る柳かな 子規
烏鷺に似し客二人あり夏衣 碧梧桐
夕嵐青鷺吹き去つて高楼に灯 虚子
など。
■画像は、「鷺娘」ほか。