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北見薄荷の人文科学(1);知的魅力満載の北見ハッカ産業史概略(明治)

 大学基礎化学実験のもつ文理融合のポテンシャルについての私の考えは後に回し、その前段階として、北見薄荷のテーマがどういう文理融合を示し得るのかをお伝えしたいと思います。

1.薄荷の伝来

 北海道に初めて薄荷が持ち込んだのは明治24年、永山村の屯田兵と言われているが、他の説もあり定かではないらしい。その後明治29年に永山村から湧別村に移入したとされるが、これについても所説あるとのこと。
(北見薄荷工場十五年史、昭和24年)

2.薄荷の栽培と出荷

 薄荷は前年冬前に畑を起こし、翌年春から秋にかけて広大な畑で栽培される。9月に収穫した後はさ掛けにより天日乾燥。乾燥した薄荷草は農家数軒単位で保有していた蒸留装置により蒸留されていた。その様子について屯田兵の孫、工藤千代氏による当時の回想記事より引用する。
「カメに導入された、ハッカ駅と水とを分離するための作業をするのですが、急に冷えて分離された白い結晶体のハッカ精は、雪の花の様にカメに広がり、正真正銘のハッカの精製品が出来る。と云ういかにも素人くさい製造法でした。人手は家族の者のみの作業でした。(途中略)それをハッカ仲買人に私、父は大金を手にして一躍資産家になるのも夢ではなかったとのことです」(北海道を探る 創刊号、昭和57年)


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