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選択のひとつひとつが"自分の生き方の宣言"なんだ
傲慢と善良 辻村深月著
読了しました。
なんと言うか、読みながら自分の人生を振り返ってしまうような、登場人物に感情移入はしにくいんだけど、客観的に見れるからこそ、自分にも同じ側面があることを認めざるをえないという、なかなか痛いところを突いてくる作品でした。
人は、人生のいろんな場面で、なにかともっともな理由をつけて、それでも懸命に、自分に最も好ましいと思われる選択をするわけですが、実はその心の奥底の自覚してはいない部分、ドロドロで気づくのすら嫌なところに、その選択を左右している核心が隠されているものです。
いわゆる人の闇の部分。そんなものを自分が持っているなんて、思っただけで嫌悪感に襲われるようなどす黒い感情。それが、思っている以上に人の選択に影響を与えていると言われています。
そのどす黒い感情のひとつが傲慢さ。無意識に人やものを上下に見て、判断をくだす。
それに相反するようで、同じ人間に矛盾せずに同居する善良さ。
こうして小説として描写されてしまうと、自分にもその両面があることに気づいてしまうのです。
善良とは、性質のよいこと。性質がおだやかですなおなこと。また、そのさま。
傲慢とは、おごりたかぶって人を見くだすこと。また、そのさま。
あまりにも周りの人に対して善良すぎると、自分でものが考えられなくなる。その上、目上の人の言うことを聞いていればそこそこ上手くいって、失敗しない。というか、失敗する経験ができない。それが高まりすぎると、自己評価は低いくせに、変にプライドが高くなり、傲慢になっていく。
自分で考えて行動したわけではないから、うまくいったその結果は自分の力量だとは思えていないけど、表面的にはうまくいっているから、その成果にしがみついて、それを自分のプライドの盾にしてしまうのだ。
正反対に見える傲慢と善良がひとりの人にある理由。
その違和感に気づきはじめても、自分が間違っているとは認められずに、人のせいにし、自分を正当化する様子。
そういうことを物語に当てはめて言語化していく著者の表現力に感嘆しました。
わたしが思ったことは、善良でありたいという思いはありつつも、他人の考えを取り入れるときには、自覚して自分のフィルターを通して、自分の責任で取り入れるという姿勢を忘れてはいけないなということ。善良ではない自分も認めていないと危ういということ。全ての人の人生、物語に敬意を持って向き合う人で在りたいな、ということです。
個性が違うから、人の言動に失望することもあるけど、個性が違うからこそ、人に救われる部分も多い。『自分とは違う』ということをもっと好意的に受け止めてもいいんじゃないかとも思いました。
あと、これは自分への教訓として書いておくのですが、『言えば済むことを言わずにわかってもらおうと思うことがいちばんの傲慢さだ』と思います。
小説なのに、こんな感想を書かせるなんて!
Enjoy your life!
イズミ