長編小説 『蓮 月』 終章
菊月十八日、お昼過ぎ二人は北山の唯の家の食卓で、静一が買って来た弁当を食べ始めていた。手毬寿司に季節の野菜の酢の物・煮物・天麩羅等が入った弁当は色彩が豊かで、唯を喜ばせた。 昨日に届いた和紙(五・七判152×212糎)は、重しをつけて平面に延ばされていた。
又静一の月が描き易いように、薄く蓮の華の下絵も描かれていた。
「用意万端だね・・・」「はい、個展の作品も全て出来上がっているし、昨日は時間を持て余しまして困りましたわ」「二時から始めて六時までに終わるようにしましょうか?」「そうどすなぁ、ええ案配やと思います」
二人は描くのに、何故か禊ぎの時と同じ白衣を纏って、上は、それぞれお気に入りの作務衣(唯は樺色・静一は瑠璃紺)を着込んで、わざわざ白足袋まで用意をして創作に取りかかった。
蓮を先に描いてそれに合うように月を描く段取りで、唯が蓮の華を描き出した。一端制作に入ると唯はすごい集中力で丹念に描き出した。
静一は少し大判の和紙に一筆で弓張り月を描く練習を傍らで繰り返しながら、唯の蓮の描ききるのを待った。 二時間あまりが過ぎたので、「お茶にしませんか?」と唯の手を止めさせた。その声で吾に帰ったようにはっとして和やかな顔になった。
「声をかけてくれはらんかったら、倒れてしまいましたわ・・・おおきに」静一は笑いながら「緑茶・紅茶・珈琲?」「抹茶を味わって、そのあと常温のお水でお願いします」「了解、ほんとうに少し休んでね」
唯は頷き畳に大の字で寝そべった。抹茶茶碗に茶筅の点てる音が「シャッシャ、シャッシャ」という音から泡が立ち始める「シュワ、シュワ、シュワ」という音に変わっていくのを聴きながら、唯は深い呼吸を繰り返して緊張を緩和させた。
「お待ちどおさま、どうぞ」と座卓にお水と抹茶が置かれた。そして、「ごめんなさい、なんや喉カラカラやわ、お水から先に頂くわ」とゆっくり飲み干し、その後唯は頂きますと言って作法通り抹茶を味わい愉しんだ。「御免なさい、お水おかわりお願いします」
「はいはい、お水をどうぞ・・・良かったら肩でも揉みましょうか?」
唯は恥ずかしげに「そんなんできはるん?」「僕は、一時期整体を勉強していたことがあってね・・・揉むというより経絡をほぐすというか愉気するというか・・・ちょっと正座して座って貰えないかな、試させて・・・」唯は「おおきに」と小声で呟き正座した。
正座の姿勢では、頭頂から頸骨・肩から肩甲骨を愉気して、そのあと俯せの姿勢で背骨の一つ一つを愉気すると・・・唯は強ばった軆󠄁がほぐれて呼吸が楽になった。
「なんでも出来はるんや」「いや、真似事・真似事です」
「さぁ、私のパートはもう少しやから、頑張りますわ」と言って立ち上がり、軽くスクワットと腕を前後左右に振り回して蓮の華の続きを描き出した。三時間を過ぎてほぼ出来上がったので、バトンタッチで静一が少し太めの筆を持ち、弓張り月に挑戦した。
唯の描いた蓮の華にどの角度、大きさが適当かを、図り切ると、一筆一瞬にして半円の月を描いた。「さすがやわ・・・ぴったりやわ」
と唯が手を叩いた。「元の構図がいいからだよ・・・後、月の光を金粉で散らしたいんだけど・・・」「はい、ちゃんと用意してますよ」と刷毛と小さな金網と溶いた金粉を静一に渡した。
其れを受け取って、光の中心と広がりを考えながら、扇状に金粉を細かく落とし込んでいった。離れて視ると、弓張り月の細い光が、蓮を照らし出していて、出来映えに二人は互いの顔を視つめ、微笑み、軽く抱きしめ合った。 「さぁ、夜は冷えますさかい、ちょっと軆󠄁が温まる権太楼の鍋焼きうどんでも食べましょうか?」「其れは嬉しいなぁ・・・手伝いましょか?」「ほなら、漬物と玄米茶の用意お願いします。うどんは小鍋に載せて煮るだけやさかい」「了解です」 ホテルや旅館での豪華なディナーではなく、ささやかな誕生日の夕食を二人は、しばしば描きあげた共作の絵を視ては、あまり話し込むことなく、静かに終えた。
それから二人は、和紙を二階に運び露台の硝子窓に和紙を太めの紙糸で吊り上げた。
「九時過ぎたら、この窓から月が視られますさかい・・・」時計を視るとまだ七時半を過ぎた頃だった。「じゃぁ、音楽でも聴きますか?それとも何か?」「う~ん、どうでしょろう、何が良いかな?・・・」
「ああ、そうだ『ガイアシンフォニー 地球交響曲』って知っている?」「知ってます。全部は視てないけど、1・2・3番と視ました。2番の『森のイスキア』佐藤初女さんのおにぎりを食べる会が大阪であって、友達のつてで頂きました。ほんとうに美味しくて、呼吸が深くなるのに驚きました」
「そう、それは羨ましい体験だね。僕は7番迄は視てて・・・そう龍村さんを囲む会が京都であって、三十人位かな色々なお話を聴いたことがある・・・彼はとても優しい人だった、何よりガイアに賭ける情熱が凄いよね」「そうどすか・・・二人ともガイアシンフォニーとも縁があったんや」「で、第7番の映画のサウンドトラックのCDを持って来ているんだけど聴きませんか?」「勿論どす、聴かせてください」「じゃぁ、下に降りましょう」二人は少しだけ照明を落として『ガイアシンフォニー 地球交響曲第七番』をソファに座って聴きこんだ。
エンディングの『光をあびて』でまたしても、唯は泣き出した。静一は唯を軽く抱きしめて「泣き虫さん」と小声で呟いた。軆󠄁を離してティシューを渡して、まじまじと視ると、唯は泣くと妖麗になると気づき、少し微笑みが溢れてしまった。驚いたことに唯は、そのあとその曲を続けて3回聴き「はぁ、堪能しました。すっきりしました。そろそろ二階へ行きましょう」と静一の手を取った。二人の誕生日の儀式?がこれから始まるのだと静一はこゝろを引き締めた。 二階に上がると唯は灯りをすべて消して、部屋に月の光がどれ位入るのかを確かめた。
今日は満月で和紙を通しても、部屋は明るく、共作の作品は二人の想い以上に輝いていた。
二人は申し合わせたように、互いの作務衣を、白衣をゆっくりと剥いで一糸まとわぬ姿になり、静一の背中に弓張り月が、唯の胸に蓮華が映るように向かい合って正座をした。 付き合わせた膝が、その一点から互いの軆󠄁に形容できない何かが発せられて、二人は睦み合った。夢の裡での逢わせと数回の口づけだけで三月が過ぎ、辿り着くことがどうしても出来なかった・・・その瞬間をほんとうに愛おしく互いの軆󠄁を愛でた。その最中でも、二人は鋭く呼吸を意識して脱力し・・・深く鎮めては、軆󠄁の火照りを様々な愛撫で高めていき、絶頂に達した。それはまるで初めて生まれた赤子を抱くような、おっかなさと親密な<触感>が弾けて一瞬にして凝固し、またそれが幾度も弾ける毎に愛しさがこゝろの裡で脈打つのだった。二人は一つになって、月の祝福を受けそのまま眠りに落ちた。
そして、二人は同じ夢を視た。蓮の海を蓮で出来た小舟に二人が乗り、互いに櫂を漕いで蓮の華々の間を潜り抜け、望月の夜の光を繭に包まれるようにして進んでいるのだ。
二人並んで、同じテンポを守りながら、時折顔を視つめあって・・・この不思議な時空間を二人は言葉を発せず阿吽の呼吸で相手の想いを受取り、又伝えあった・・・・・・
『何処へ行くのだろう・・・僕達は』
『心配ですか?』
『いや 心配はしていない』
『只 これは【随=神の道】カンナガラの道であるのかどうか』
『大丈夫 今の私達は自然と共鳴しています』
『無で在り 有で在る 世界は視える構造とは違ったカタチで在る』
『知で辿り着く世界ではなく 想いの世界でも辿り着かない世界』
『心の絆』
『魂の共鳴響』
『心の鍵』
『魂のダンス』
『心の絆』
『魂のシナジー』
『心の翼を広げる』
『魂の真善美』
『澄んだこゝろに感謝の想い』
交互に言葉を紡ぎながら、月を仰ぎ、蓮の海を凝視した
『この夢は、何を伝えたいのだろう?』
『さぁ、問うても詮方ないのでは』
『そうだね これは 天からの誕生日の贈り物』
『私達二人を祝福してくれているのよ きっと』
『そうだね 二人の魂を結ぶ・・・結魂』
『唯は結い 静は誠』
二人は櫂を傍らに置いて、鎮魂の秘印を結び、祝詞の秘められた言の葉を唱えて、月に拝礼した。気がつくと二人は向かい合って寝間の上で視つめあっていた。
「おはよう」
「おはようございます」
「さあ、光をあびて跳びだそう!」
「はい、・・・」
「あっ、一つ大事なことを言い忘れていた・・・お誕生日おめでと
う!」
「はぁっ、そうどしたな・・・お誕生日おめでとうございます・・・
二人で精だして生きて行きましょう!」
「うん、いのちを輝かそうね、眩いばかりに」
「はい、眩いばかりに・・・」
二人は早朝の陽光のなかで抱きしめ合って、
いのちを鼓舞した・・・・・・・・・・・・了
あとがき
この物語はある晴れた朝突然炎のごとく、私の脳裡を長編恋愛小説を書きなさいという夢のメッセージを受け取って・・・全体構成やプロットも何も無しで、或日の夢を手掛かりに、書き始めました。
今年の水無月三日のことです。
その時、八万字を目標に立てました。原稿用紙二百枚です。
考えついた細切れのエピソードをパズルの様に繋ぎ合わせて、なんとか書き続けました。
133日目に脱稿いたしました。多くの人に♡マークを押して頂き、ほんとうに励みになりました。とりわけ飛鳥世一 氏には、毎回早い段階で頂き誠に有り難う御座いました。
この作品はフィクションですが、5%位私の実体験をさりげなく描いています。
出来れば、来年再構成、推敲を重ねて十万字の小説にしたいとも思っていますが、小説を書き出すと脳が小説脳になって、短歌や他の作品が作れません。根が不器用ので・・・。
応援して頂いた皆様、ほんとうにありがとうございました!!!
泉 耀
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