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長編小説 『蓮 月』 その八

 静一は自身の夢視る体質を変えようと、友人のアロマセラピストに特別調合した貰った睡眠効果の高いハーブティーを毎日風呂上がりに飲むようにして、夢をあまり視ないようになって三週間が過ぎた。
明日が送り火という日に、唯から送り火のよく視える一等席が確保出来なかったから、全部は視られないけれど、早朝に登った山あいから視ましょうとメールが届いた。

 八月一六日 静一は、この日は朝早くから箕面にあるグループホームに寄って母親を迎えに行き、墓参とお盆の御燈明を上げる為に四天王寺へ行くのだった。母親は既に夏の涼しげな着物に着替えて玄関口の椅子席に座って待っていた。笑みはないが虚ろではなく又精気がないわけでもなく、普段の昼食の時とは違い、ただ超然とそこに座っているという感じだった。母親は先祖供養を大切にしていて朝は炊きたてのご飯とお水と線香を供え夕は蝋燭を灯して礼を欠かさなかった。もっとも施設に入居してからは火が使えないので、電池式蝋燭にブックタイプの小さな仏壇で我慢している。それ故、春・夏のお彼岸とお盆はとても特別な日だった。

 母親は静一を視とめると立ち上がりゆっくり歩いて来た。静一はスタッフにお土産を渡し一四時迄には帰りますと告げて、グループホームを後にした。母親は車に乗るとにっこりして「今日は墓参りだね、花とかお供えは用意しているかい」「大丈夫、ほら・・・」と言って後部座席を指し示した。其れを視て、母親は安堵し早く出発するように促した。
箕面から市内へは其程ルートが無く、道が混むので九時に迎えに来ていた。一時間も掛からず菩提寺に着いた。 母親はお寺に降り立つや、生き生きとして寺の墓守の婆さんに丁寧に挨拶をして、静一にあれこれと指示を出して、お墓の周りの掃除を始めた。
月初めに一度雑草を抜き墓石を磨いているのだが、小さな処まで綺麗にして、三十分後にやっと花とお供えを置き、般若心経を唱えて、長女・弟・父親の順に祈りを捧げた。それから、境内に祀ってある不動明王・薬師如来・弁財天など一体一体に線香を捧げて、大きな溜息と安堵の表情をして、「四天王寺に行こう」と言って車に乗りこんだ。

 朝の十時半過ぎにもかかわらず境内は、お参りの人達で結構一杯であった。ここでは、御燈明を上げるのに用紙に書き込み、本殿の阿弥陀如来を拝むだけだったが、此処かしこの露天商をのぞき込み、お饅頭やくず湯葉などを買い求めてるのが好きだったので、お昼ご飯には丁度いい時間になった。後は、恒例の道頓堀に寄って、『今井』のしっぽくうどんと煮染めを食べれば満足だったが、どちらも半分も食べられなかった・・・母は胃癌だった。沢山はいらないが、一口が欲しいと呟いたので、煮染めの残りは折り箱に詰めてもらい、名物のわらび餅をお土産にと二つ頼んだ。「おや、もう一つはどうするんだい、お前が食べるのかい?」「夕方、京都のクライアントと打ち合わせがあって、その後、大文字の送り火見物の用意をして頂いているので、そのお礼に・・・」「ふ~ん、相変わらずお前は嘘が下手やなぁ、如何にここのわらび餅が美味しいからと言ってデートするのにわらび餅がはないやろぅ・・・もうちょっと気の利く物を・・・」
「お母さんにはかなわないなぁ・・・じゃ何が良い?」
「そうだね・・・夏のお土産と言えば・・・やっぱりわらび餅かねぇ」母親はお茶目な表情をして煙に巻いた。
大好きな母の惚けた表情を垣間視て、ちょっぴり幸せな気持ちになる静一であった。
癌は、まだステージⅢではあるが、帰りはお腹が膨れたのと久しぶりに動き廻ったので、母親はぐっすりと寝ていた。静一は母のことを色んな意味で考えなければいけない時期になっていると感じていたが、答えを先延ばしにしていた。兵庫の浜に育ち、船場で商いをする父と結婚して、子供四人産み(長女は流行病で幼くして亡くし、後は男の子ばかり三人・・・だが、浪花育ちのアイデンティティーがその生き様を逞しく、昭和を生き抜いた。母親となんとか一緒に生活することを考えようと静一は想った。
母親をグループホームに送り届けて、いったん自宅に帰り、シャワーを浴びて着替え電車に乗る。母と一緒にいても、こゝろ此処にあらずで、夜の大文字の送り火に囚われている自分を、薄情な息子だと・・・自分を詰りたくなった。

 電車の中で、ノートに状況整理の為夢の内容と構造を簡単に書き出さとうと考えたが・・・まだその時期ではないような気がした。三つの夢はすべて意味があるはずだが・・・夢は夢の裡で解かなければならないような気がしたからだが・・・象徴的な言葉だけ書き出すことにした。

夢1キーワードは、向日葵・橋・蛇の目傘・河・「A day in the life」
夢Ⅱキーワードは、唯の誘い・秘めたること・早急な関係性・不首尾
夢Ⅲキーワードは、白い砂利道・社(洞)・光の道・初音・処女受胎

 鹿海家は代々守り継がれて来た何かがある。それは何かわからないが・・・Ⅲ番目の夢は多くのサインを告げているように思われる。
だが、きっとそれは夢の世界でしか解決あるいは完結する物語なのに違いない。それは抗えないことだから・・・このリアルな世界での在り方を一生懸命生きるしかない。何れにしろ、初音とは会って、鹿海家のことを聞き出さねばならないと思った。そこに辿り着いた結論を胸に納めて、唯の家の来訪を告げる木魚を叩いた。唯が笑顔で出迎える、濃紺地に桔梗の絞りの浴衣は、こゝろを落ち着かせるのに丁度良かった。
「ようこそ、おいでやす。お待ちしておりました」「長い夜になりそうですね」と思わぬ言葉が静一から発せられて、静一自身も驚いた。
「長い夜どすか? 送り火より月輪観の方に想いがいってはるんかな」「あんさんは、けっこうせっかちどすか?」
「う~む、事柄によりますが・・・気になると・・・はい」
「長い夜でも朝までも、私は別にかまいまへん大丈夫ですよって」
「それは、こゝろ強い・・・よろしくお願いします」
「祠の先が小さな山になっていて、その中腹に滝があって、そこをもう少し上がると窪地があって、そこから眺める送り火がなんとも言えまへんわ」
「そうですか、そろそろ行かないといけないのでは、時間は大丈夫ですか」
「大丈夫でおます。まだ少し時間がありますさかい、お茶を点てますさかいに一服どうぞ」
「それは、ありがたいお気遣い、ありがとうございます」 手際よく点てられた抹茶は、藍色に金継ぎされた茶器に微かな泡立ちを残していた。簡単に作法に則ってゆっくり味わった静一は、こゝろが静かに身体の奥に居座り落ち着いた。
「美味しいです・・・これで今日は何があっても上首尾で終わるでしょう」唯はそれには応えず「用意してますから、どうぞ作務衣に着替えておくれやす「はい、それではお言葉に甘えて・・・着替えます」唯は緋色に波のイメージを彷彿させる白抜きの仕立て、静一は群青に水紋のイメージでこれも白抜きの仕立て・・・唯の拘りでさらに元気を貰った。小さなリュックに水筒と・タオルなどを詰め、懐中電灯はそれぞれに手で持って・・・二人は並んで山に向かって歩き始めた。茜空は少しずつ闇に移ろう刻で、微かに聞こえる蜩の鳴き声も哀しげだ。二人が路を踏む靴音だけが、ザッザク・・・ザッザク・・・ザッザクと響き渡る。
ふと静一は天空からこの地形を視れば、日輪の泉水・月輪の泉水は乳房に視えるのではないかというイメージが浮かび、少し笑った。
「どうしはったんですか?」
「いや、何でもありません・・・少しいたづらなイメージが浮かんでしまって・・・」
「ふっふっふ、なんとうのうわかりますわ」静一は赤面した。だが、それが二人の緊張を解いて自然と二人は手を繋いで歩み始めた。
少し急勾配の山道を登り続けると月輪観の泉水が視えはじめた。泉水を囲むようにして、人一人が禅を組める大きさのある円形の石が埋め込まれていた。
「座ってお水でものみましょうか?」
「はい、そうしましょう」二人は石に腰を下ろして、用意した水筒のお水を飲み干して夜空を見上げた。
「そろそろ始まりますな・・・北山から見えるのは送り火は「大」、「妙法」、「船形」、「左大文字」の四つどす・・・」静一は、一時間弱精霊が帰っていくのを見届けるような気持ちで送り火を眺めていたが・・・すべて燃え尽きて闇に晒されると、世界はより静寂の裡で息づいているように感じた。
今日は十三夜で満月では無かったが、月は泉水に映し出されて風で揺れていた。月が割れ思わず天空を仰ぎ視ると・・・勿論天空の月は割れずその輝きを秘かに誇っていた。

「送り火が終わると、厳しい残暑があっても夏のおわりどすな・・・」
<後一ヶ月>という言葉を飲み込んで、満ちていく月を運命の刻印のように視つめてしまう二人であった。
「そろそろ、帰りましょうか?」「はい、」
「少し、お酒でも飲みましょうか?」「はい、」
「何を言ってもはいですなぁ」「はい、」
「しまいに怒りまっせ」「・・・ごめんなさい」唯は、しかし怒ってはいなかった。
ただ、何かを伝えなくてはという想いが、こゝろの裡で空回りするような隙間風が、
夏の夜風が際立たせているのが、少し癪に障っただけだった。
静一には、それはわかるはずも無く、少し戸惑いがあったが・・・唯の裡から発っせられるサインを受けとめて、唯を抱き寄せた。一瞬の結晶・・・互いの想いのエネルギーが波のように寄せ合って、融けて、一つの波濤の頂を作り、二人は満ち足りて初めて唇を交わした。
唯の力が抜けていくのを感じながら、その抜けていく力に応じて唯を抱きしめる力を保つことで・・・二人は一つに溶けあっていく喜びを分かち合った。
唯はその大きな瞳に涙を溜めて頬を伝わって落ちていくそれを手で拭いながら、少し恥ずかしそうに「嬉し泣きどす・・・ただ嬉しいのどす」と静一の軆󠄁を強く抱きしめた。
ゆっくりと軆󠄁を離し、ハンカチを渡して、唯の気持ちの高ぶりが治まるのを待った。
唯は呼吸を深く吐く方に意識を集中し整えることに専念した。
「さすがだね・・・唯はすごい!」「何をゆうてはるの、さあさあ、音楽聴いて酒盛り・酒盛り」と無邪気にはしゃいで、静一の左手を深く包み込んで帰りを促した。
                          その九に続く

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