哲学者と話してみた #1一生涯から考える医学を目指して(パート1)
前回は大学で行われた講義について、哲学で勉強されるテーマを扱ってとても楽しかったので、今回は「哲学者と話してみた」とちょっとしたシリーズをやってみようかなと思いました。このシリーズでは哲学者に現在研究されているテーマについてインタビューをして、哲学とは何かとかそんなに難しい質問を答えるのではなく、現代の哲学は様々なテーマを研究してるんだということだけを知って欲しいなという思いで提供していきたいです。
さて、今回はプエブラ州の大学の先生であるルイス・コルテス先生にインタビューを行いました。彼は医療学生に哲学の授業を行う経験があり、現在はメキシコ国立自治大学の医学部で医学の歴史を研究する組織の一員としても活躍しています。プエブラ州の大学でも教師として様々な仕事に一生懸命取り組んでいる哲学者です。このインタビューでは、彼が大学であげた講義を基に哲学と医学の関連や彼の研究内容について紹介します。プエブラ州の町の写真もお楽しみください。
はじめに お医者さんに行くとき
みなさんはお医者さんのことをどう思っていますか?私は子供の頃、お医者さんに憧れていました。人の命を救うなんて素敵な仕事だなと思い、ともかく人の助けになりたい抱負が強くてお医者さんになることが将来の夢でした。しかし、この思いはお医者さんに行く度にだんだんと変って行きました。もちろん、一般的に病院へ行くことが楽しいとは思えないでしょう。病気を治してくれる薬を求め、行くことが多いでしょう。それでも、病気を治してくれたときもあったりしていい経験もあると思います。医者になりたいという人も少ないかもしれません。お医者さんになりたかったけど患者さんの痛みや辛さを見ることが心痛いし、血を見ると気絶してそれじゃ何もできないだろうとその道を選ばない人もいると思います。ですが、私はその理由で選ばなかったわけではないんです。
私は、頻繁に病気にかかってしまうわけでもないのですが、悪いお医者さんに検査されることが多かったのか、高校生の頃は検査されるのが嫌いになるくらいで病気になってもお医者さんに行きたくありませんでした。それでも医学にはまだ興味があったので、ルイス・コルテス先生のおかげでやっとこのお医者さんへの気持ちが明らかになって、医師の仕事を見直すことができました。
哲学から考える医学を
一生涯を考える医学を目指すこととは何か。ルイス先生は医学を哲学からどんなことを考えなおすべきか、医学の歴史など、医学そのものを対象とした研究をされています。この記事は、医学を医療学生から説明しているのではなく、哲学から考える医学といって、全く変わった視点から語っているので、それを踏まえて、主要なことから講義のテーマについても触れいています。
1. 医学とは?
講義でお話された医学史についても色々とお聞きしたいのですが、はじめに聞いておきたいのは、医学とは何か少しお話頂けますか?
ルイス先生:医学の概念は、二つの視点から考えられます。まず、一つ目は医療機関からの視点です。医療機関にとって、医学は人間の生理機能に関する知識で生理機能に少しでも異変があった場合、それをどのように元の働きに戻すかを考える学問です。一般的な生理機能というのは、統計のデータに基づいたものです。
二つ目は理想的な視点から、これは私が提案している医学です。私は、医学を生理機能の知識より一生の日常生活を重視する学問にしたいのです。日常生活のノルマを知っておけば、一人一人に信頼性が高く、役に立つガイドラインを定義づけられるからです。そうすると自身の生活を全く知らない他人に応対されることもなくなり、その人の暮らし方、そしてどのような暮らし方を目指しているかを知った上で応対ができると思います。もちろん、医師はその時のために備えていないといけませんが、患者さんの生活を考えて、専門的知識を与える方がふさわしいのではないかと思います。無理矢理、一般統計のデータから考えられた治療法を強制するのではなく、自身の生活を考えてくれる医学の方がいいのではないかと思うんです。医療機関からの医学の概念から離れて、患者さんとの関係をより深めることが重要になりますから、より複雑な学問になってしまうことは言うまでもありませんけどね。
2.医師の仕事
お医者さんは、毎日どんなことに立ち向かわないといけませんか?
ルイス先生:それは、誰でも真っ先に考えるのは病気でしょうね。ですが、それだけではないと思います。患者さんや彼ら自身にまでも対立することもあります。彼ら自身というのは、例えば、医療学生が医学教育の先生たちに家父長制な態度を教われてしまい、患者さんを助けようとしてもそんな態度だと避けられてしまうこともあるからです。だから、医師たちは自分自身の考えやバイアスさえにも立ち向かい考え直さないといけないのです。時々、彼らも医学の限界を意識していなかったり、薬品の効果がなかったりするときも患者さんの病を治せないという挫折感にも向き合います。
そして、彼らは、医療機関の官僚制にもたまには踏みとめられることもあるでしょう。現代は、医師という職業は医療機関がないと存在しないと言えるものです。医療機関にない代替療法をしたい医師というは、人の目に触れることはめったにないからです。医療機関では工業にまで伴う特定の構成を持っているので、医師たちが何でも出来るというわけではないのです。
3.医学の知識はどのように発展していったのか
今、ルイス先生の答えを聞くと私たちが患者としていつも応対されるから気づかないこともありますね。現在では、医療機関のせいで医者の義務も複雑になってきている、そんなことも考えられますね。
ルイス先生の講義でヨーロッパの医学の理論が二つに分かれることをおっしゃっていました。一つは生気論、もう一つがクリニック論で分けていました。この講義で興味深いなと思ったのは、近代医学にとって重要なクリニック論は死体の研究から発展したということです。そこで、まずは生気論についてもう少しお聞かせしたいのと現在この論に基づく医療があるかも教えて頂けますか?
ルイス先生:はい、そうですね。現在は、ザムエル・ハネマーンが提唱したホメオパシーが生気論に近い存在かもしれませんが、生気論を全体的に考えたものではないと思います。ホメオパシーでは、伝統医学と近代医学と関連した部分を排除する傾向があるからです。例えば、恐らく患者さんにとってメリットがある医療系セラピーやボディー系セラピーなど自らできる治療を避けるときがあります。生気論は、人間の体を機械化する視点を批判していないのですが、ホメオパシーでは批判するようです。
生気論を構築した医師たちは、人間の体の動きを生理機能から理解できるからといって、人間を全体的に治療しないわけにはいかないという考えをもっていたのです。体全体に活力が流れているから、体だけではなく、主体も病んでいる、そんなシステム化した考えなので患者さんが生きている環境までも病んでしまっているということが考えられるのです。ですから、生気論を実用したい医師は、人文科学も勉強しないといけないと思います。
では、クリニック論はどんなふうに違うんですか?
ルイス先生:クリニック論の治療は、現在の治療法と変わりません。人間の体の一か所だけに集中した治療を発展したのがクリニック論です。もちろん、生気論と違って人間を全体的に考えず、人間の体の一部が病んでいるのだから、その一部だけを分析して治療を行えばいいと考えるのです。患者の習慣、生きている環境とかは関係なく、病んでいる体の一部をコントロールすればいいと考えてしまうのです。
4.「死」とは?
生気論とクリニック論の理論が分かれる理由が「死」をどのような視点から見ているかによるんですよね。なので、この二つの理論にとって「死」をどのように見ていたかを教えてください。
ルイス先生:はい、そうです。生気論にとっては「死」が謎であるため、医学の知識となる情報すらあるわけがないと主張するのです。私の講義でも話したように近代医学と同じく、死は生理機能が働くなくなったことだという説明が通らない現象もあるから、そんな簡単に人が死んだと確定することができないときもあったのです。生命というのは本当に複雑なものでわずかなところでも現れるからです。だから、「死」というのは謎の現象とみなされるのです。そもそも、これは17世紀から19世紀のことですから、「死」は、宗教の仲立ちがあってもおかしくないことです。これは、「死」が将来性と来世とつながるから宗教では重要なことです。
それに対してクリニック論は「死」を基に、動きのない体から研究を発展させているので、死体は重大な情報の源なのです。
次回は、パート2で「ディア・デ・ムエルトス」(死者の日)についても含めて書きますので、お楽しみに!
[一番最初の写真は、Templo de la Compañía(テンプロ・デ・ラ・コンパニーヤ)と知られている神殿です。 ]