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【書評】「フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔」――天才の「人間的な」面が分かる、これぞ正しく人物伝

いわゆる歴史上の人物の伝記というものは、2通りの読み方があると思う。
1つは、その人物の思想や生活様式を自分の人生に役立てようという、自己啓発書としての読み方であり、もう1つは、自分とは全く違う人間の生き方を垣間見て面白がろうという、エンターテインメントとしての読み方である。
本書、「フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔」は、間違いなく後者に属し、そして我々のような凡人には逆立ちしても前者のような読み方ができない一冊である。

フォン・ノイマンという人物の能力や業績の広さについて、あえてここで挙げることはしない。
もちろん本書にも、彼の超越的な能力の事例がこれでもかと掲載されているが、それらはすでに有名になりすぎているし、Wikipediaや各種SNSを検索すればいくらでも見つかるからだ。そうしたエピソード自体も魅力的だし、ノイマンの頭脳が凄まじ過ぎるあまり、もはや漫画やライトノベルを読んでいるような気分にさえなるが、本書の魅力は彼のそうした面の列挙だけに留まらないところにある。

その魅力とは、具体的には次の2点だ。脇役のエピソードの豊富さと、フォン・ノイマンという人物の根本の思想への考察である。


まず、脇役について。
良い物語には良い主役と同時に、良い脇役が欠かせない。本書には、主役フォン・ノイマンのエピソードは当然のことながら、彼の周囲を彩る脇役たちの話題も豊富に挙げられている。
脇役と言っても、エルデシュ、ゲーデル、フェルミ、アインシュタイン、ウィーナー、チューリングなど、それぞれが主役級の人物ばかりであるが、彼らとノイマンの関わりは、ノイマンだけを調べていてはなかなか見当たらない。少なくとも、世間的に良く言われるノイマンのエピソードの中に、他の研究者たちとの交流について書いたものはあまり含まれていないのではないだろうか。
例えば、不完全性定理で有名なゲーデルを大戦直前のヨーロッパから救い出すためにノイマンがあらゆる手を尽くすほど「天才には驚くほど親切だった」ことや、天文物理学者のチャンドラセカールと共同研究を行っていたこと、さらにはノイマンが在籍していたプリンストン高等研究所創設の物語や、ノイマンの家族の話などは、本書を通じて初めて知ったことだった。
一個人の業績に目が行きがちであるが、実はノイマンは多くの学者たちとの共同研究で画期的な成果を挙げている。本書はこのように、孤高の天才とは全く違う人物像がはっきり浮かび上がらせている。

次に、フォン・ノイマンという人物の根本の思想について。
数々の業績と天才のエピソードに紛れて不明瞭になりがちだが、ノイマンの根底にある思想は科学優先主義、非人道主義、虚無主義であり、それらが「人間のフリをした悪魔」という人物評に繋がっている、と本書はまとめている。
私は、徹底的な合理主義、経験主義、科学主義であったことから、結果的に非人道的な虚無主義者に見えていただけなのではないかと思っているが、ノイマンの根底にある主義主張の考察にまで踏み込んでいる(そして、それを考えさせるだけの業績と人間性の分かるエピソードを豊富に書いている)本書は、ノイマンの本質をただの「天才」という言葉に単純化せず、フォン・ノイマンという人間の魅力を描き出すことに成功している。
原爆完成の際に家族に見せた動揺や、対ソ連への宥和政策に一貫して反対し続けていた理由への考察は特に読みごたえがあり、人間離れした大天才も、天才以前に一人の人間だったことを感じさせてくれるのである。


世界最高の頭脳を結集したあまり「火星人」とまで言われたマンハッタン計画のメンバーにあって、誰よりも「火星人」だったであろうフォン・ノイマンは、恐らく人類史上でもトップクラスの優れた頭脳を持っていたに違いない。天才的なエピソードの数々や、おびただしい数の分野に与えた多大な影響は、まさに人間離れしているとしか言いようがない。
しかし彼は、他の天才たちとの交流や共同研究を好み、周囲に溶け込み取り成す社交性を持ち、(天才に限ってのことかもしれないが)請われれば研究上のアドバイスを与える気質を持ち、祖国を蹂躙されたことやそれを許す状況を作ってしまった周辺諸国の意思決定を憎悪する心を持っていた。

原爆の製造からくる罪悪感に悩むファインマンに対し、ノイマンは「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」という言葉をかけたという。頭が良すぎるあまり、恐らく誰よりも世の中を見通すことが出来る人間にとっては、それこそが最も合理的な人生哲学、もとい処世術だったのかもしれない。
無論、これは我々凡人が思いつくような感傷的な割り切りではなく、合理的に、科学的に、数学的に計算された「解」なのだろう。それでも普通の人間の社会に生きながら、数多くの成果を、論文に留まらない形で後世に残したノイマンは、ただの高性能なコンピューターではなく、人間を理解できる人間だった。そのことは、どうやら間違いなさそうだ。


なお、ゲーム理論の誕生に関わるほど、人間の経済行動に通じていたノイマンだったが、カジノのポーカーでは負け続け、(社交目的の可能性もなくはないが)友人たちとの勝負でも勝てなかったという。そういえば「ご冗談でしょうファインマンさん」の中で、「自分がギャンブルにハマらなかったのは最初に負けたからだ」という意味のことをファインマンが書いているし、真偽は不明だがニュートンも株取引で大損した結果「群衆の狂気は計算できない」という言葉を残したと言われている。
唯一、我々凡人が本書から学び、自分の人生に生かせる教訓があるとすれば、「天才≠幸運」、「ギャンブルには気を付けましょう」といったところくらいだろうか。

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