見出し画像

安部公房『赤い繭』授業実践

 お久しぶりです。気がつけば梅雨です。写真は自分の写真をしげしげと眺めて「かわいい」と評する我が子の姿です。もうナルシズムに浸っている。


 5月に連載したアクティブラーニングに関する記事(だったのか?)は、いろんな方に読んでいただき、ご意見もいただくことがもできました。ありがとうございます。まだまだ考える余地をたくさん残している実践なので、いろんなご意見を頂戴しながらよりよいものにしていきたいです。
 

 だからどっちかっていうと「こういう良い実践やってるよ! みんなもやってみてね!!」っていう報告ってよりは「こういうことやってるんですけど、いいんですかね? みなさんどう思います?? 研究授業できないから文章で伝えますので足りないことがあったら言ってくださいね??」っていうスタンスです。もうなんなりといろんな言葉をぶつけてください。

 そんなこんなで、今日は『赤い繭』の実践報告です。

飽くなき仮説と論証への挑戦

 言わずと知れた名作、安部公房『赤い繭』。家をなくした男が自分の家をさまよい歩いているうちに繭になっちゃったよ、というお話ですね。端的に説明するとほんと支離滅裂な話だな。
 まさに不条理と非論理を具現化した物語。私が接している生徒の読書遍歴を見ると、やはりこのようなシュルレアリスム的な文学(フィクション全般)に触れている生徒は多くない。まずは、論理よりも寓意よりも「不条理を不条理として愉しむ」ことを念頭に置いて読ませたい。
 義務教育のたまもので、授業の中で扱われるテクストから「寓意」を読み取るのは生徒は本当にうまい。こちらが何も指示しなくても「◯◯という話からこういうことを学んだ」と、道徳的解釈をしてくれる。「授業」「クラス」という場が成せる業なのだろうか。とにかく、まずは道徳律から解放させたい(かなり難しいけど…)

 前回の連載でも書いたが、今回も「仮説」と「論証」をキーワードに設定して授業を展開していった。授業の流れは以下の通りである。

【1時間目】
①自ら「仮説」をたて「論証」する体験をする、という目的の共有
②教員による全文音読
③白紙を渡し、感想・疑問・解釈を自由に書く
【2・3時間目】
400字の原稿用紙で、この物語を論じる。
必ず論文の初めに「仮説」を立て、「論証」する流れで論文を書く
【4・5時間目】
書いた論文を持ち寄って、生徒同士で意見を共有する。
【6時間目】
教員の解釈を提示し、それも含めて振り返りシートを書く。

 『赤い繭』の前に「所有」についての単元を取り扱っていたため、「所有」をテーマにして解釈している生徒が多かった。論文を書いた時点で「自己を消滅させることでおもちゃ箱という居場所を見つけることができた」という解釈や「男は駅のホームに飛び込んで自殺をしたのであり、赤い繭の中を照らす夕暮れの赤は血の色だった」という解釈を展開する生徒もいた。もはや私の授業いらないんじゃない?と思わせるくらいの鋭い論考を書く生徒は少なくなかった。

語ることによる自己の変容の体験

 しかし、私が一番楽しめたのは生徒同士の意見共有の場である。
 まず4人グループに生徒をわける。その中でお互いの意見を交換するのだが、私からは「論文を回し読みしたり、論文をそっくりそのまま音読するのは禁止」という指示を出した。もう一度自分の言葉で自分の意見を再構成し、アウトプットすることを生徒に求めた。だいたい20分1セットにして、メンバーを全員変える形で班編成を2回行い、計3回の意見交換を行った。

 生徒の声の中で興味深かったのは「言葉で説明していくと、だんだん自分の意見が変わっていった」というものだった。そう、一度「こうである」と設定した結論でも、もう一度再構成し、言葉にして説明していくと、論理の穴に気が付いたり、さらに良い論理の展開を思いついたりして、ブラシアップしていくのだ。
 正直、私は生徒がこの気づきにたどり着くことまでは期待していなかったが、机間巡視する中でそのような声と出会えてとても嬉しく思えた。

 さらに、他者の意見を聞きながら自分の立てた論の補強を行っていく。話し合いが終わった頃には新しい原稿用紙を求めてくる生徒もいた。こうして、対話によって「自己」がアップデートされていく。このような経験は講義型授業だけでは体験することができないものだろう。

自己の消失、所有論理への帰還と帰属

 ちなみに、私は『赤い繭』を

「自己の消失によって所有の論理から抜け出そうとした。外は夜になったのに対し、繭の中がいつまでも夕暮れだったのは〈時間〉からも解放されたことのあらわれだろう。しかし、赤い繭は別の他者に所有される。所有から解放されたように見えたが、結局は誰かに所有されることから逃れることはできない。逆に捉えれば、他者に所有されることでしか人は共同体に帰属することができない」

という物語として生徒に読みを提示した。この読みも絶対的なものではないし、私の解釈に対して生徒がどう感じたのかは振り返りシートに書いてもらった。

 今回の対話形式の授業では私の期待をはるかに上回る解釈・対話が見られたのは幸運だった。ただ、やはり論証が甘かったり、根拠の立て方が曖昧な生徒も多く見られる。まだ半年くらい授業が残されているので、今度は評論文でも仮説→論証の授業をやってみたい。

 そんな感じ!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?