華やぐ「わたし」への餞の言葉
本日もあなたの大切なお時間の中で
ノートの一頁を開いてくださり有難うございます。
仙台市内の小学校は今日が入学式というところがほとんどだったのでしょうか。
真新しいランドセルと、フォーマルな服を着た可愛らしい男の子や女の子を何人か見かけました。
お子様の成長に悦びを感じながら通学路を歩かれているご家族を見て、私の顔も笑顔になります。
(幸せのお裾分け、とはこういうこと。)
入学式の緊張から解放され、ランドセルをお母さんへ預けて身軽に走り回る女の子を見て、
「明日からはそれを自分で背負ってこの道を通るのよ〜」と、心の中で呟きました。
もしかすると私は
この女の子の姿を借りて、自分自身へ同じことを伝えたいのではないだろうか。
このノートへ今日の出来事として書いていくうちに、そのような気持ちに気がつきました。
あと一歩の勇気が欲しい時に
あの人の言葉が聞きたいな。
あの人の歌が聴きたいな。
あの人に逢いたいな。
そんな風に誰かや何かによって励まされることは日常の中でよくありますね。
あの人に逢うことはもう出来ないから、
一緒に過ごしていた時の幸せな記憶を思い出して勇気に変える。
私は今
人生の中で幾つか訪れるターニングポイントの一つに到着している感覚があります。
好きなことをもっと知りたくて、インプットして。
好きなとをもっと知ってもらいたくなって、アウトプットして。
そうやって私が生きる今へ関わっていくうちに辿り着いた、ターニングポイントという名前が着いた場所。
「わたし一人」では辿り着けないターニングポイントですが、このポイントは私の人生のゴールではありません。
『ターニングポイント』は通過するポイント。
こっちへおいで
と、手招いてくれている未来の私がメッセージを贈ってくれているような感覚があるのです。
もっともっと自然体で生きている私と、
そこで同じように生きている誰かと出逢って
もっともっと『ひとり』や『一人ひとり』の人生を『よりよくすること』が可能なはずだと、
なぜかお尻を叩かれている感覚がどんどん湧いてくるのです。
飛び越える勇気。
人生が180°変わっても良いくらいの覚悟。
本当に自分の人生を生きようとする前の
何か決意を問われている。
今までに経験したことのない感覚に戸惑いますが、私がわたしの才を発揮することで、もっと仕合わせな人たちに出逢えるならば、
明日からも変わらぬ『いつものこと』へ
これまでは怖くて使ってこなかった『覚悟』を込めて過ごしてみようかと
内側から湧き上がる灯火…
というよりも暖炉の炎を言葉にして表してみました。
ここまで受け身メインで生きてきたわたしから
能動的にも生きていくわたしへの
餞の言葉。
最近、何度も聴く言葉があります。
『成功の反対は失敗ではなく、挑戦しなかったこと』
今、チャンスをたくさん頂いています。
自分の人生を生きるって、
本当はとてもシンプルなはず。
『私はどう生きたいのか』
ただそれに従うのみなのでしょう…
続く
最後まで読んでくださり、有難うございました。