早く聞いた方がいい
先週の土曜日、お世話になっているお寺で4度目の法話会を開催しました。
その名も「ちいさな法話会」。
季節ごとにこぢんまりと行う、カジュアルなお話会です。
法話というと、たいていの方は葬式や法事でしか経験がないと思います。
ご年配の方は地域のお寺で聞くことがあるかもしれませんが、私の知る限り、伝統的な法話会(法座)では50代以下の方はあまり見かけません。(なので、40代の私は若者です!)
「ちいさな法話会」を始めたのは、自分自身が子育てをする中で、お寺へ行きたくともなかなか行けないという経験があったからでした。ましてや法話を聞くなんて、子連れでは不可能。一度、子連れでもいいですよと言ってくださったお寺さんへ本当に乳幼児たちを連れて行ったことがありますが、やはり静かにすることはできず、気疲れして帰ってきました。
だから、「子連れOK」の法話会を開くことは、自分自身の強い願いでもあったのです。
今回の法話会に集まってくれた方々は、たまたま子育て世代の女性ばかり。ほとんど私の知り合いなのでそうなるのですが、本当は男性でも若くてもご年配でも構わないと思っています。
さて、先ほどから「法話会」と言っていますが、そもそも「法話(ほうわ)」とは何でしょうか?
浄土真宗の場合、法話のことを「お取次ぎ」と言ったりします。これは、法話がお坊さん自身の思いを語るのではなく、仏さまの教えを「取り次ぐ」ということから来ています。浄土真宗本願寺派における正式な法話は「型」が定まっていて、必ず「ご讃題」という聖典の中の一句を取り上げてから起承転結で話を進めます。伝統的な法座(仏教の教えを聞く年間行事)では、法話専門の僧侶が休憩をはさみつつ2時間ほど話をします。コロナを経て縮小傾向にはあるものの、長ければ2日間連続で開催することも。
慣れない人にいきなり2時間のお話はきついので、「ちいさな法話会」では20分程度の法話と、お寺の見学やお茶会といったごくカジュアルな内容になっています。
私は伝統的な法座も好きでよく参加しますが、基本的には聞くだけで、質問や対話の時間はありません。どんなに感動してもシェアする相手がいないことに、ずっと物足りなさを感じていました。なので、自分が法話会をするならみんなと話す時間も作りたい。それで、会を始めた当初は座談へのこだわりが強かったのですが、自分も緊張して重い雰囲気になっていた気がします。今回、4度目にしてやっと肩の力が抜け、自然な流れで参加者のみなさんそれぞれが思いをシェアすることができました。
みんな平気な顔して生きているけれど、ちょっと聞いてみると子育てにとても悩んでいたり、病気を患った経験があったりします。それでも頑張らなきゃ、前を向かなきゃという思いで日々過ごしている。
私がなぜ仏教を好きかというと、そんな○○しなきゃという思い込みを外して、心を開放することができるから。
「成功しなきゃ」「幸せにならなきゃ」「健康がいちばん」「いい母親にならないと」「子供には優しくあるべき」「家族は仲良く」「人には親切に」……
これらは一般的には「善」とされるけど、善は時に自分や他人を縛り付ける縄になります。こんな「べき」や「ねばならない」でいっぱいの心を、仏法(仏教の教え、仏さまのはたらき)は自由にしてくれる。いつもいつも自由でいることは難しいけれど、お寺にいる時くらい頑張るのをやめて、素の自分になってもいいんじゃないでしょうか。
「仏教は、できるだけ早く聞いた方がいいよ」
副住職さんの言葉にみんな納得。歳をとってからでも遅くはないけれど、早く聞けるなら聞いた方がいい。だって、仏教は生きるための教えなのだから。
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