突如訪れた想定外の緊急事態
平和な夕飯時
携帯が鳴る
見知らぬ番号…..
ここ1年程前から、数回目.....の、転換期ともいえる状況下の中での生活… 今の私にとって見知らぬ番号に出るのはなかなかな勇気が必要とされる。
勇気を出して電話に出てみた。 声は穏やかな男性。 子どもがお世話になっていた学校の先生であると名乗られた。
「〇〇さんの携帯で間違いないですか?」との問いに、「はい!先日の会議ではお世話になりました」と、少しホッとして返事を返した。
すると、その先生の口から「実は.....」と、神妙な話がはじまった。
結論からいうと、元担任の先生がコロナを発症してしまったというのだ。
実は、電話があった数日前、私はとある学校を訪れていた。 子どもが卒業後、最後のお役目として決算等々の会議に出席するためだった。
その際、廊下で偶然、元担任の先生にお逢いし、マスク越しに数分会話をしていたのだ。 学校側としてはそのことによる感染を心配しての報告であった。
予想もしていなかった事態に、一瞬動揺したが、少し医療的知識もあったせいか直ぐに頭の中を整理した。
〇 会議に出席した日から今の電話まで5日、電話の前日に発症していたとして4日経過している事実。(接触者になるのかなぁ...?)
〇 基本的なコロナの濃厚接触者の定義は… 発症から前後2日・非マスク者・15分以上指が触れる距離間にいた者…だったような…(再度ネットで確認)
〇 私が住む実家では、敷地内にて営んでいる事業があること。
〇 田舎であること(未知の怖さから村八分的な風評被害の恐れ)。
〇 両親が高齢者に該当すること。
〇 電話があった前日に、歯医者と外科病院に受診してしまっているという状況。
などなど…
感染確率は低いにしても、万が一、もし自分が感染してしまっている場合の、膨大なリスクが目の前にドーンと落ちてきた。
電話を切って、10分後、ハッと我に返りすぐにマスクを装着、部屋中を消毒しながら、動揺する両親に状況説明とマスク装着を伝えながら管轄の保健所に電話をした。
保健所の方には、状況をお話し、PCR検査の依頼をした。 それから保健所の方の指示を伺い一旦電話を切った。
担任の先生の体調やメンタルも気になったので、私が元気であること、今は治療に専念してほしい旨のメールを送り、学年委員長の方からも、このことについてメールが入っていたので返事を返したりしながら、これからのことをシュミレーションしていた。
保健所からの電話。 翌日朝一番で検査が受けれることとなった。
翌日、検査実施。 早くて当日中、遅くても翌日には検査結果をお伝え出来ます。 との回答に気が気ではなかった。 そして当日夕方に着信 … 息をのみ報告を受ける。
【陰性】だった。
しかし、濃厚接触者の有無については、市町村を跨ぐため現在も協議中とのこと、今後の対応としては、はっきりするまで濃厚接接触者の対応でお願いしますという事だった。
シュミレーションを発動することにした。
それには、一応保健所の許可もいるかも知れないと思い、ひとまず訪ねた。
「県の施設に入所は可能ですか?」→「陽性者で軽症の方のみとなります」
なるほど…残念。
「では、市町村を跨ぐのですが現在使用していない祖父母の家に移動することは可能ですか」→ 「… 少しお待ちください...」...「可能です」
時間は20時頃、外はもう暗い…
しかし陰性が確認できた今のうちに作戦を決行することを決めた。
電話を切ってすぐに... ここからはまさに【夜逃げや本舗】さながら…
一気に荷物をまとめて車で移動した。
まるで、死刑宣告を受けた犯罪者のような気分......
事前に、祖父母宅の隣に住んでいる叔父夫婦には、電話を介して許可をいただいていたのだが、寛大に受け入れてくださり感謝しかない。
移動すること約50分、ようやく祖父母宅に到着、荷物や保存食を下ろし終え、祖父母の仏壇にご挨拶。
ほっとしたのか、少し涙がポロポロと頬を伝う
そして改めて、自分が感染しているかもとの怖さ以上に、周囲に及ぼすであろう影響への怖さと悲しさに包まれたのであった。
その夜、お布団に入り天井を眺めながら... 陰性・濃厚接接触者かもしれない私ですら、このような思いをしているのだ... きっと、感染してしまった先生はじめ入院中の方々はもっと心身共にやられちゃうよなぁ~ と、回復を祈りながら就寝した。
翌日夕方、祝日に限らず保健所から着信。 出てみると昨夜お話した方であった。 「祝日もお仕事ですか?」 と尋ねると24時間体制にて当番で対応しています。とのこと... 正直驚いた。知らなかった...。
大変な仕事を担ってくださっている...頭の下がる思いだ。 感謝しかない。
そして、私は、濃厚接触者から接触者に変わった。
何故か「ご協力感謝します」と恐縮される保健所の方、私は「自分の周囲の方のために最大限できることをしただけです...」と恐縮した。
今回、コロナを身近に体験して、まさか自分に降り注ぐとは正直考えもしていなかったが、これだけ感染者が増えている中、望んで感染したわけではない人に対して、時に人は、周囲は、パニックを起こしたり、村八分的な行動心理を取ってしまうということは肌で感じることが出来た。
現実問題、心無い言葉や行動で、当事者を精神的に追いつめてしまうという話も、聞くところ少なくもないようだ。
翌日、実家に戻ることができた。
今朝は、また、いつもの散歩道を愛犬と歩く。
大きく広がる山の景色を眺めながら、こう思うのだ。
世界中、日常に、肌の色が黒いだの白いだの、足がないだの、手の形がおかしいだの、生まれ持っての障がいにおいて、その方々が望んだわけでもなく、変えようもないことに、時に人は人に対して残酷であるように思う。
人が人であることに何ら変わりはないはずなのに...
内外の痛ましい戦争においても、何の悪さを働いたわけでもない人たちが、身勝手な人間により殺されるなんて......絶対にあってはならないことだ。
自分が殺されたくなければ、人もまた殺されたくはないのだ。
貧乏であろうが資産家であろうが... 肩書に酔いしれる方もいるようだが、肩書がどんなに偉くてもポンコツはたくさん存在する。
人は人である。ただそれだけでいいと思う。
大自然のように、植物は、土や水、太陽、風、雨、小さな細菌や虫などがいるから育つのであろうし、その植物などがあるから動物も生きていける。そしてまた、その動物が落っことしていったウンチから肥しもできて植物の栄養となる。 みんな、できることが違い、それぞれが役割を担い補い合っているからこそ、豊かな天然の資源がこの世界にはあると私は考えている。
人間も、大自然のように個々がお互いを尊重し、共存し、できないことを補え合えば、どんなに豊かに明るい世界が広がるのだろうとイメージする。
最後までお読みいただきありがとうございました(´▽`*)
コロナにて悔しくも命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。