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京都・旧明倫小学校のペトロフピアノ
約1年ぶりに旧明倫小のペトロフピアノと再会しました。
京都の中心部(中京区室町通錦小路上ル)にある京都芸術センター。
ここは1990年代まで京都市立明倫小学校だった場所です。
今も当時の校舎がそのまま芸術活動の拠点として活用されており、学校で使われていたペトロフピアノも講堂を使ったコンサートで今なお活躍しています。
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(すみがき たけし「京都風音ピアノ 100年の物語」より, 2020)
このピアノは、1918年(大正7年)に地元の有志が子供たちのためにお金を出し合って購入したもの。
オーストリア・ハンガリー帝国はボヘミア地方(現在のチェコ)のペトロフ社製グランドピアノです。
作られたのは、おそらく1910年代半ば。当時のヨーロッパは第一次世界大戦の最中、戦火をくぐって日本にやってきたのだと思われます。
当時の有志の一人に日本画家の中村大三郎もいましたが、彼の代表作「ピアノ」は、この明倫小学校のペトロフピアノをモデルに描かれています。
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(すみがき たけし「京都風音ピアノ 100年の物語」より, 2020)
明倫小学校はその後、1990年代に廃校となり、ペトロフピアノもひどく傷んだまま長期間放置され、廃棄もやむなしとされていましたが、地元明倫学区の人々が寄付を募って修復を行い、2008年に再び輝きを取り戻しました。
ピアノ修復師の山本宣夫さんが、ペトロフピアノに再び命を吹き込む様子は、ご本人に取材させていただいて、私の長編「京都風音ピアノ 100年の物語」の中でも詳しく描きました。
もし、よろしければご一読いただければ幸いです。
(今回、使用した挿絵も本の挿絵として使っているものです)
![](https://assets.st-note.com/img/1732453839-UC9QMa5uEWvFh7oPZSie6pfB.jpg?width=1200)
(すみがき たけし「京都風音ピアノ 100年の物語」より, 2020)
今日のコンサートは、京都大学大学院理学研究科で宇宙物理学を研究された異色のピアニスト谷川俊介さんによるミニコンサート。
シューマンのアラベスク、ショパンのノクターン(op.48-2 & 62-1)、スクリャービンの幻想曲、ラヴェルの高雅で感傷的なワルツ、ドビュッシーの金色の魚(映像第二集より)というプログラム。
やわらかで繊細なタッチで演奏されるスタイルが、優しくて温かな100年前のペトロフピアノの音色ととてもマッチしていました。