見出し画像

子孫シリーズ【明智光秀の子孫は現在いるのか】

【序文】

本能寺の変で織田信長を討った反逆者として知られる明智光秀
大河ドラマ「麒麟がくる」では主人公にもなりましたね
そんな、明智光秀の子孫は現在いるのか

結論から言っているようです
子孫の人が書いた本を読んだことがありますし
では、その子孫の人たちを紹介しましょう


【明智憲三郎さん】

明智光秀の子孫に明智憲三郎さんという人がいます
先祖は光秀の側室の子である於寉丸(おづるまる)という人だそうです
於寉丸は光秀の残党狩りを恐れて、山城国の神官の子として育てられました
そして、身を隠すため、「明田(あけた)」の姓を名乗って暮らしていましたが、明治時代になって明智姓へ復姓したそうです

明智憲三郎さんは、歴史研究家であり、本能寺の変の真相について調べているそうです。
たしかこの人の書いた「本能寺の変 431年目の真実」という本をずいぶん前に読んだ気がします

家康黒幕説を主張していますが、複数の歴史学者の人から「全く成立する余地がない」と批判されているそうです
家康黒幕説は私も苦しいと思います

ただ、家系図などが関東大震災で焼失したらしく、たしかな証拠がないそうです


【クリス・ペプラーさん】

クリス・ペプラーさんという人も光秀の子孫なのではないか、と言われています
この人は、ラジオのパーソナリティーやDJ、声優として活躍している人です
ドイツ系アメリカ人のハーフで母方の祖母が、光秀の子孫である土岐頼勝つ(ときよりかつ)という人物の末裔だと言われているそう

ただ、これは頼勝が光秀と血縁関係があるという説が本当だとすれば、の話だそうです
今のところ真偽は不明みたいですね
明智憲三郎さんがクリス・ペプラーさんが明智光秀の子孫かどうか調査しているそうです


【細川護熙さん】

ご存じの方もいると思いますが、細川護熙さんは第79代総理大臣で、肥後熊本細川家の第18第当主です
光秀の娘のガラシャ細川忠興に嫁ぎ、その三男が肥後熊本細川家の初代当主当主細川細川忠利になります
その子孫が細川護熙さん・・・と言いたいところなのですが、護熙さんはガラシャの直接の子孫とは言えないようなのです

江戸時代に、肥後熊本藩の当主となった細川ガラシャの息子細川忠利の子孫は、第7代で途絶えてしまいました。あちゃー!
そのため、細川忠興の側室の子、細川立孝(ほそかわたつたか)が藩祖となり、熊本宇土藩の第7代目当主細川立礼(ほそかわたつひろ)が、名を斉滋(なりしげ)と改めて、肥後熊本藩の第8代目当主になりました。
その子孫が護熙さんだそうです。
だから、厳密に言うと、細川護熙さんは直接の明智光秀の子孫ではない、ということになります・・・。

護熙さんの祖母が、ガラシャの長男である細川 忠隆(ほそかわただたか)の血筋ではないかという説もあるそうですが、確かな証拠は見つかっていないそうです。

【終文】

明智光秀の子孫には、明智憲三郎さん、クリス・ペプラーさん、細川護熙さんがいました
ただ、確証がなかったり、途中で断絶していたりするため、確かに光秀の子孫とはいえないようです、がっかり・・・

調査が進めば他にも子孫の人がいるかもしれませんね





いいなと思ったら応援しよう!

諸葛鳳雛@真・歴史探偵
記事が気に入ったらチップしていただけるとうれしいです!

この記事が参加している募集