山登りは競技ではない。でも「負け」はある
山登りは、基本的に競争するものではありません。
だから、早く歩けるとか、長時間歩けるからといっても偉いわけではない。
ただし、自分との戦いはあります。
私も、登りが辛くて「もう二度と登らないぞ」と思ったことは何回もあります。でも、山を下りてきたら、友人と「次はどこに行こうか」と話し合っていた。「お前はバカか?」と人に笑われても仕方がないほどでした。
しかし、チラッとでも「もう登るのをやめようか」と思ったのは、山登りを始めてから2年位で、その後は苦しい時でも、そんなことは思わなくなりました。
その理由は、一つには歩き方が分かってきて、以前のような苦しさがなくなったこと。そして、達成感を感じられるようになったことだと思う。
また、登った山が増えたので、自分が登った山を他の山から見る回数が増えたこととも関連します。
山を歩いていて、かつて登ったことのある山を見ると、以前にその山に登った時のことを思い出します。
うまく説明できませんが、そういう記憶によって、懐かしさに似た感情が生まれてくるような気がします。これも一つの理由だと思う。
しかし、登山にキビシイ面があるのも事実。
私の山仲間の一人が、ある時こんなことを言っていました。
「山はキビシイよな。リタイア出来ないからな!」
どんなスポーツでも、例えば格闘技でさえリタイア出来ます。
レフリーストップとか怪我による退場とか、途中で試合をやめることが出来るんです。
でも、登山はそれが出来ません。
登るのは自分が決めたことだし、登りだしたら、必ず自分の足で戻ってこなければならない。
予定通りに歩けなかったとしても、或いは、引き返してきたとしても良いから、とにかく自分の足で下りてこなければなりません。
これが山登りの厳しい点です。
最初に述べた通り、登山は競技ではありません。
しかし、負けはある。
自分の足で降りてこられない場合は「負け」なんです。
しかし、知人や友人であれ、赤の他人であれ、負けた人のことをアレコレと貶したり、批判する気にはなれません。
今まで私が無事だったのは、私が幸運に恵まれただけだったのかもしれない。
いま思い出すだけでゾッとする経験もしたし、それこそ、ご先祖様に守ってもらえたのか!と思うようなこともありました。
しかし、今まで守ってもらえたとしても、今後のことは分かりません。
次の時に「もう、知らないよ!」と見放されたらヤバイ。
何事によらず無茶をしてはいけないけれど、山では特にそうだと思う。