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【鑑賞日記】高橋龍太郎コレクション展を観に行った
日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション @東京都現代美術館
高橋龍太郎氏のコレクションによる展覧会は過去にも幾度か開催されていましたが、今回の企画展はそれらとは少々狙いに違いがあったようです。
これまではいまをときめく上質な現代アートを観せるということが主眼だったのですが、今回の企画展はそのタイトルにもあるとおり高橋氏のコレクションをとおして、高橋氏が思う現代美術史を提示することが主眼でした。
高橋氏のコレクションをクロニクル的に観ていくことで、氏が現在の現代アートの流れをどう感じているのか。ひいては氏のアート史観とは、ということが描かれています。
と同時に、その史観はどのように形成されていったのか。氏のアート遍歴と史観成立の経緯なども逆算することができるような企画ということを意図していたと思いました。
作品群も氏のコレクションことはじめから、だいたい順繰りに展示されていて、少しずつ理解が深まっていく… と思ったのですが、あまりはっきりとしたところまではわかりませんでした。
あまりにも多岐にわたる作品群は特定のジャンルに絞られていません。貪食にして暴食、手当たり次第なの? とも思わなくもないですが(すみません)、結局のところ広い視点で現代アート全体に目配せしているのでしょう。
作品のアーティストも今からみると名だたるビッグネーム。高橋氏の審美眼、目付けの確かさは十分に感じることができました。
(実際は目の出なかったアーティストのコレクションもあるのかも知れず、展示されたものだけれ判断するのは早計かとも思ったり、またまたすみません)。
以前から現代アート作品をみるときに感じていたことなのですが、アーティストの作家性が時代を経るごとにどんどん内省的になっている。自己の思いや葛藤といった自己言及をスタート地点として作品を制作している。そんなことを今回の展示作品を見ても非常に強く感じました。
比較するものでもないのですが自分は、海外の現代アーティストの多くは社会などへ感情をぶつける作品を生み出しているように感じています。
結局のところ、いろいろとあるのでしょうが総じて日本という国が平和なので、アーティストの情動を外に向ける必要が少ないせいなのかも知れない。
もっとも、それはいいとか悪いとか、そういう話でもなくて、自己を掘り下げることが世界を捉えることにもつながる、と思ったりもしています。
で。今回特にそんな印象を感じたというのは、あるいは高橋氏の職業柄、そういう傾向の作品が多くなっていることがあるのかも知れないと思ったのでした。
とするならば、それこそが高橋氏の現代美術史観の特長なのかも、と。
まあ、これらの感覚は今回に限った話ではないので、やはり時代的にそういう空気感なのだろうとは思っていますが。
最後に。高橋氏は、作品制作やプロデュース的な活動もしており、純粋なコレクターではなくなっていると知りました。
そのような常に新たなフィールドに挑戦し、アートにコミットしていく生き方は自分にとっては理想的だと思ったのでした。