トマトが苦手だった話
トマトの思い出話を語ろう。
いちばん古い思い出は幼稚園に入る前だから3歳のころだったろうか。
台所の土間の入り口に腰かけ、両手で持ったトマトをかじっていた。
正直、どんな味だったのか、楽しかったのか、イヤだったのか、などの記憶はない。情景としての思い出なので、もしかしたら後付けの記憶なのかもしれない。
ともあれ、ほんの子どもだったときは食べていたのだと思う。
次の思い出は小学校時代。5年か6年の話である。
給食にトマトが出た。まるっと一個そのままであった。
自分はこれに手をつけることはなかった。このときにはもうトマトは苦手、というか嫌いになっていたのだと思う。
ここまでの数年間のうちになにがあったのか、その記憶はない。けれど、とにかく自分にトマトは要らなかったのだ。だから食べずに机の引き出しの中につっこんで、なかったことにしたという記憶は鮮明に覚えている。
ちなみに机の引き出しにはデキの悪い答案用紙などもねじ込まれていた。だって小学生の机ってそういう存在でしょ?
なお、学期末におそるおそる見てみたら、机の中のトマトはいつの間にか消えていたのは実に不思議だった。
ともあれ、そのときの無邪気な罪悪感もあってのことか、トマトは自分にとって本当に不要な存在になっていた。
学生時代になると、トマトが嫌いなことに、より自覚的になっていた。
たとえば飲み会でトマトができていたら明確に遠ざけていたし、まわりの人たちも自分がトマト嫌いだと知っていて避けてくれたり、からかいのネタにもなっていたりした。
さてここで言っておくが、自分は生のトマトが苦手だっただけで加工されたトマトは嫌ってはいなかった。ナポリタンもオムライスも好きだったし、実家の定番料理だったトマトケチャップの煮込みハンバーグは超がつくほどの大好物。まんまトマト嫌いあるあるのセオリーどおりではある。
閑話休題、時間をざっくり端折ってしまうが、そんな自分もいつのまにかトマトを食べるようになっていた。人間の味覚って不思議だなあと思うしかないのだが。
きっかけらしいきっかけは覚えていないけれど、おつきあいのあった生産者さんから差し入れたトマトをいただかないのは失礼だしなあ。などという機会が度々あって、その経緯の中でいつのまにか食べることができるようになったのではないかと思っている。
当初は「そんなに美味いもんじゃないよなあ」などと思ってはいたが、怖いもの見たさというか不味いもの食いたさというか、ようは天邪鬼的スピリッツの為せる技だったのだろう。
青汁が不味い。けど飲みたい。みたいなそんな感覚である。
そんなことが続く中で知らず知らずのうちに「トマト、マジ美味い!」に変化していた。いまではすっかりトマトの魅力にはまっている。あの野菜特有の青臭さも含めて美味しいと思っているし、積極的に食卓にも出している。
惜しむらくはトマトってお高い食材なのでそう毎日いただくわけには… というところだろうか。なんとも無念な話だ。
大人になることで味覚の変化、というか劣化、にともなって、食べられなかったものがいまでは美味しくなっているものは存外多い。
例えば、きゅうりの酢のものであったり、ニンジンのソテーであったり。
自分にとってそのひとつにビールがある。
ビールをはじめて飲んだ時、あの苦味ににウッとなったところからスタートして、あまり美味しさも感じられず、だったら無理に飲みたくないなあ。とこれまた積極的に遠ざけていた。
飲み会でもビールはかたくなに飲めなかったし飲まなかった。乾杯で注ぎにこられた日にゃガチにらみしていた。いまから思えば我ながら大人気ない。ごめんなさい。
ビールが飲めるようになった経緯だが、こちらはしっかりと記憶がある。
とあるビール工場で飲んだ黒ビールがとんでもなく美味しく感じられたのがきっかけで、一度飲めるようになるとそれまでのことはなんだったんだ、というくらいに飲めるようになった。
このことに端を発し、世間の地ビールブームを経て、ビールの持つ多様な味わいに目覚め、今に至る。だから昨今のクラフトビールの隆盛には本当に感謝しかない。
ちなみにラガーよりはエール派である。異世界生活向きだなあ。
ともあれ、美味しいものが増えていくのは幸せなこと。だから、今宵もトマトとビールで愉しいいとときを過ごそうと思う。
初出 24年7月12日
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