【鑑賞日記】ほとけの国の美術展を観に行った
春の江戸絵画まつり ほとけの国の美術@府中市美術館
江戸時代は檀家などの仕組みにより人々は仏教と密接な暮らしをしていました。だから画家もまた仏教を身近に感じる生活を送っていたわけです。そのような社会の中、育まれた文化は「ほとけ」と切り離すことはできません。
というわけで、このような仏教の影響がどのように作品として描かれていったのか。
「ほとけの国」における美術を観ていくという、あるようでなかった切り口の展覧会でした。
冒頭の二十五菩薩、華やかな作品に心がぐいっと掴まれます。
続く展示は地獄極楽図。転じて殺伐とした図絵の連なりにヒャーッと…
と、ここまでが仏教絵画として人々がどのように仏教を普段感じていたのかというような序章的な展示でした。
次の章では、ご存知!白隠慧鶴、仙厓義梵、両名の気の抜けた禅画で、地獄絵図で乱れた心を和ませます。この構成は上手い。当時の(?)硬軟ある仏教との向き合いかたを提示していました。
そこから、なだたる江戸の絵師たちの描く仏教絵画が展開していきます。琳派絵師の仏画を観たのははじめてかも。
日天・月天像を見たときにお椀の中にうさぎが描いてあり、なんでかな? と、よくよく観たらお椀ではなく月でした。月天像だし月だよね。そして月だからうさぎなのね。考えれば当たり前でした。そういう勘違いも楽しいです。
展示の章は、さまざまなキャラの図画を掘り下げていくエリアに。
はじめは鬼やらなんやらと、仏教に即していたキャラを取り上げていたのに、後半には動物の絵画の展示になっていきます。一応、涅槃図でさまざまな動物も集まりました。という理由づけはありましたが、ちょっと強引? みたいな気がしなくもない。まあ日本は動物にも仏性を見出す人種ですからね。それがほとけの国ならでは、という文化の提示なのだとも思いました。
もっとも単純に可愛いが勝ち、なのかも。
ところで、仏教の作品は平安鎌倉時代で完成されていて江戸期のものは評価が低いという解説がありました。
自分はこの説は初耳でした。本当なんでしょうか?
確かに江戸期の作品のいくつかは、記号化されてしまった表現技法をトレスするだけでクリエイティブがないという考えかたはあるかもとも思うのですが、それって今の時代から見た評価でしかないのでは。
そもそも江戸時代は現在に近しいので残っている作品数も違います。ということは良作も駄作もさして淘汰されることなく伝わってきている。というだけのことなのでは。
前述の評価の説についてについては、一度きちんと確認しておきたいところです。
そんなこんなで、ほとけの国というキーワードで、特定の時代や画家、寺社などで括らない、広範な(言いかたを変えるとざっくりとした)視点で仏教絵画をながめ、日本人の精神文化を概括するという本企画、大成功ではないでしょうか。