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おさしづから見る人間心。
天理教の原典といえば
おふでさき
みかぐらうた
おさしづ
であるのは言わずと知れたこと。
おさしづと言えば
教祖や飯降伊蔵を通して口述された教えを筆録されたものを指す。
明治8年頃に教祖より【扇のさづけ 言上の許し】を頂き、悩める者に親神天理王命の言葉をお取次ぎされた。
その中に、親神様の神意を説いたものを【刻限】といい、人々の悩みなどの問いかけに対しこたえたものを【伺い】という。
祭典講
人たすけたらわがみたすかる
天理教とは、どんな信仰ですか?
と聞かれたらどう答えますか。
という練合があるとします。
私の回答は
「私にとって最高の教えです」だけ。
『私を見てください』などという二代真柱氏のようなことは、とても烏滸がましくて言えません。
でね。
『人たすけたらわがみたすかる』という教えです。
という方よくいますし
よく聞きます。
なんて言うか。
の引用はわかるんですが。
その…天理教のキャッチフレ
こう言う奴が道を踏み外す。
と言う奴が私である。
と言われそうなので、予め書いておく。
私は教会長でもないし。
ただ苦節しながら教人になっただけ。
専修科も出てないし。
天理の学校も出てない。
青年勤めもしてない。
理論武装で理屈っぽいだけ。
それでも
自分が経験した人生を頼りに
自分にしか出来ない【お助け】をしたい!
それだけの話。
私が見てきた天理教は
この【おふでさき】だった。
そこに、苦しんでいる者がいるのに