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忘れるということ

わたしにとって「忘れる」ということは日常的だ。

授業だって、予定だって、人の顔も、人の名前も、話したことも、あったことも。
少し生活に支障があるくらいには人より物覚えが悪い。

でも、それとは反対に悪い出来事は今でもたくさん覚えている。
3歳の時に見た夢も、友達に言われた言葉も、自分が言ってしまった言葉も。
少しの覚えることができた思い出が美化されると同時に、それ以外のことは全て悪い記憶になってしまう。

自分の記憶する力が人よりも弱いと自覚したのは10歳にもならない時で、先のことが怖くて怖くて仕方なくて全て書くようになった。こうやって書いているのもその時そんなことを感じていたと覚えているうちに残しておかないと自分の過去がどんどんなくなっていくようで怖いからだ。
昔のことを忘れるのが怖い。
その人のこと、その人の言葉を忘れたくない。
頭の中から自分で思い出を取り出すことができないとわかってからは全て書き留めるようになった。

言葉があれば少しでも思い出すことができた。

わたしには今なくすことが許されないノートがある。そこには私が自力では取り出せない記憶が書き込まれている。言葉があれば少しでも思い出せるから、これがなくなれば私の学校生活が消えたも同然だ。

同時に忘れたくなることもある。
付き合ってくれた人のことだ。
今年のことなのに本当に記憶が曖昧で、その日々を情景くらいでしか思い出すことはできない。そして、私の記憶の全てだったLINEの内容を全て消されてしまったので、その人の言葉を鮮明に思い出すこともできない。それでも、表情とか、仕草とか、温もりとか、匂いとか。記憶というより感覚こびりついて離れてくれないものもある。
あなたの名前も、あなたの顔も、あなたの匂いも忘れてしまえたらと願うけれどそんなこと無理で。

ずっとそばに居させてもらいたいと思ったからこそ大切に記憶に残したいのに、そんな記憶はどうやっても今は思い出せなくて、感覚的に感じていたものだけが私の中に残っている。
だから、その断片的な記憶も感覚も全て忘れてしまえたらと思う。
いらないことだけ覚えていると思ってしまうのは仕方がないことだと言わせてもらいたい。

私にとって記憶は一番大切だ。
だから、忘れたくないと思う気持ちが積もれば積もるほど不安と怖さに襲われてまた、記憶にはその不安と怖さが残っていく。






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