嵯峨野の月#69 宮女明鏡
薬子5
宮女明鏡
お母さまがお亡くなりになられて七日後の夜おそく、
藤原乙叡と名乗る殿方がこっそりとお家を訪ねて来られた。
「実は私は、お前の叔父なんだよ…おいで、明鏡。私がおばあ様の元に連れて行ってあげるからね」
と品の良いお顔に微笑みを浮かべた乙叡おじ様に響き良い低い声で言われたので私はつい気を許し、差し伸べられたおじ様の手を取ってしまった。
…御車に乗せられて連れて行かれた所は長い長い壁に囲まれたずいぶん大きな街の奥にある大きなお邸。
乙叡おじ様に抱きかかえられて御車を降りた私は、お邸の入り口でまずおばあ様に迎えられた。
色鮮やかなお衣装に身を包み、白粉を塗ってきちんとお化粧なさっているおばあ様のお顔は見るのは初めてで、この時のおばあ様はどこか冷たくて、怖い。と子供心に思ったものだ。
おばあ様に手を引かれて長い廊下を幾度か曲がって一番奥まった部屋で持っておられたのは、かなりお年を召された殿方だった。
「…明信、この子が!?」「はい、そうでございますよ山部王さま」
その方はおばあ様とうなずき合い、涙を浮かべて私の顔を覗き込むと、次にひし、と強く抱きしめて下さった。
「お前の将来はこの爺が保証してあげるからね、明鏡」と白い顎ひげを頬に擦り付けながらその御方は宣言なさったのだ。
そう、この御方が私の実の祖父、桓武天皇。おじい様の腕に抱かれた時から私の宮女としての人生が始まったのだ。
あの時、生まれて初めてお家から連れ出された私が街だと思っていたところが、
内裏。
という最も高貴な方々がお住まいになられるところだと知ったのはかなり後になってからの事だった。
もし、あの時私が乙叡おじ様の手を取っていなかったら…
今は中納言である実父、藤原葛野麻呂さまに引き取られて北家の姫として育つ人生もあったのではないか?
大同4年(809年)盛夏、
重い悪阻で寝付いている宮女明鏡はきれぎれに見る短い夢の中で百済王家の別荘である蓮池の邸で育った子供時代を思い出しては…
後悔しているの?明鏡。
いいえ、嘉智子さまと今上の帝は主として素晴らしい方々。
身籠った明鏡を苦しめているのは悪阻だけではない。
もし生まれて来た御子が皇子であったら、野心を隠さない性質である父、葛野麻呂が皇子さまの外戚として名乗りを上げ、明鏡の今の立場を脅かすのではないか?
という懸念であった。
私が、嘉智子さまと寵を争う?そんなことは絶対嫌だ。
やはり帝に相談をして、父とのことをはっきりさせねば。
と心を決めて枕の上で吐息を付く明鏡に「ご気分が悪いのですか?」と看病役の宮女、百済王慶命が心配顔で声を掛けた。
明鏡の懐妊が発覚し、これ以上無理をすると流産の怖れがあるという空海の診断を聞き入れた嵯峨帝は早速明鏡を床に付かせ、嘉智子の世話役は百済王貴命に。明鏡の看病役は貴命の姪の慶命に。と差配なさった。
「いいえ、却って気分いいくらいよ。それより嘉智子さまのお具合は?」
と尋ねる明鏡に慶命は最初は呆れ、次に17才の少女の純粋さゆえか、
「それより…って明鏡さま。今はあなた様のお体とお腹の赤さまに気を掛けるべきなんじゃないですか!?」
と、自分より遥かに先輩の宮女を叱りつけてしまった。が、すぐに我に却って「ご、ごめんなさいまし…」と慌てて謝罪する慶命の態度があまりにも素直なので、
若さって羨ましい、と思った明鏡は自分もまだ二十歳なのに…と苦笑したのであった。
宮中で忍従と忠誠を当たり前とする暮らしをしていると、急速に心が年老いてしまうものなのだ。
「御免なさい、謝るのは私のほうね…ねえ、帝はまだ後宮にいらっしゃるの?」
「はい、今はお妃さまのところにおいでですが」
「すぐに帝にお話したい事がありますから、行ってお伝えして。お願い」
明鏡の必死な声に慶命はすぐさま立ち上がり、妃の高津内親王の部屋に向かった。
間もなく、嵯峨帝が明鏡の枕辺に座ると「具合はどうだ?」と明鏡の頬に手を当ててやつれたな。と思った。
夏の暑さと重い悪阻で瓜と粥と薬湯以外は全部吐き戻してしまう明鏡のからだはひと回り痩せ、顔色もよくない。
今年に入って嵯峨帝の妻たちが次々と懐妊したのは喜ばしい事ではあるが…半面、お産で命を落とす母親も多い時代だった。
嵯峨帝が空海はじめ医僧や侍女たちの人数を増やして妊婦たちの看護に細やかに気を配ったのは…
ふた月前、同母妹の高志内親王を産褥で亡くしたからである。
ほおら、見て下さいませ。玉のような皇女さまですよ!
と命婦が赤子を高志に抱かせようとした時、高志は既にこと切れていた。
まだ21才という若さだった。
高志の夫である大伴親王は虚脱状態で赤子も抱けず、自室にこもりっきりでいた。
「せめて父親であるお前がしっかりしていなくてどうする!?ほら、こんなに美しい姫ではないか」
と兄として叱咤するつもりで大伴の前で赤子を抱きあげて見せたのだが大伴は、
「実の父である私より先に抱くなんて…!
即位なされたらさっそく天皇家の家長づらですか?偉そうに。
多くの妻を抱えていらっしゃる帝に最愛の妻を失った私の気持ちなんて解りはしないんだっ!」
とひったくるように赤子を取られ、一番仲が良かったはずの弟に嫌味と嫉妬の言葉を投げつけられた嵯峨帝は心は傷つきながらも娘を抱いて泣く大伴に、
「お前と高志の夫婦仲の良さを朕は羨んでいた」とみずからの本心を告げた。
大伴ははっと顔を上げた。
「宮中の噂通り、朕と妃の高津との仲はあまり良くない…5才と6才の頃から許嫁として過ごし、どんなに心を砕いても溝が埋まらないのだ。
何故だろう?朕は悩んだ。ある時、何かのきっかけで高津と口論して『お兄さま』と呼ばれて気づいた。
やはり高津にとって朕は兄でしかない。最初から朕は夫として男として愛されていないのだ…」
肩を落として大伴の前で腰を下ろす嵯峨帝の眼から涙が溢れて嵯峨帝は両手で顔を覆った。
兄上が、お泣きになっている。
幼い頃より父桓武帝から一番に目を掛けられ厳しく教育され、誰の前でも泣き顔を見せた事の無い兄上が…
「解るか?高志を失って辛くて苦しいのはお前だけではない…朕も母を同じくする妹を失ったんだぞ…お前との間に生まれた子らも、母を失ったんだぞ。皆、辛い」
背後に控えていた大伴の従者、藤原吉野につと差し出された懐紙で涙を拭った嵯峨帝はすまぬ、と吉野に言うと大伴に向き直り、
「この子の名は?」と問うた。
「は…この大伴、悲しみ過ぎて我が子の名すら思い浮かびませんでした。先程の非礼、お許し下され」
我が悲しみの沼に溺れてきっていた大伴はやっと正気づいて兄帝に謝し、生後間もない我が娘を嵯峨帝に抱かせた。
腕の中の赤子は目元が高志に似ている。そう思うと半分嬉しく、半分切ない。
高志よ…花が開くように笑い、お兄さま、お兄さま、とゆったりとした口調で話しかけてくれたお前は、もういない。
しょうがないなあ、と嵯峨帝はお笑いになり「朕が名付けてもよいか?」と聞くと「帝に名付けていただけるのは光栄です」と大伴は愛妻を失って以来初めて目に輝きを取り戻した。
「これよりこの子を、貞子と名付ける」
「ありがたきしあわせ」
女人というのはわが命と引き換えに子を産み、遺すことでしか生きていた証を刻むことが出来ないのであろうか?
父上、伊予の兄上、そして高志、朕はこれ以上家族を失うのが恐い。
「頼む…いかないでくれ明鏡」と明鏡を抱きすくめた嵯峨帝は思わず口にしていた。
その時、抱き締めた相手の口から発せられたのは…
「何言ってんですか大袈裟な。見かけほど弱っていませんし、細身なのは元々です」
という意外と活力のある声と相変わらずのずけずけとした言葉。
え?
慶命の様子がただならなかったのでまさか急変したのか?と思い急いで空海までも呼びつけてしまった。
朕としたことが何という早とちりを!と顔を赤くする嵯峨帝に明鏡は、ああ、自分はこの方に本当に必要とされているのだ。と心から嬉しく思い、肝心の話を切り出した。
「では、阿闍梨がいらっしゃる前に話してしまいますね。生まれて来る子の処遇についてお願いがございます」
と、明鏡が嵯峨帝に耳打ちして話した事は…嵯峨帝が思い付かない程の妙案であった。まったく、明鏡の聡明さは時として朕を上回る!
「確かに。北家からお前を守るにはそれしかない、と朕も思うのだが…明鏡、お前は本当にそれでいいのか?」
「ようございます、この明鏡、嘉智子さまと帝に生涯仕える宮女として生きる覚悟はできております」
「解った、先に手を打つか、朕から中納言に話を付けるか、どっちがいいと思う?」
「勝手に事を進められると父の恨みを買いましょう。まずは直接お話を」
「解った」
と嵯峨帝がうなずくと明鏡は「ああ、安心したから何だかお腹が空いて来ちゃった!」といつもの溌剌とした声で自分のお腹をさすった。
「瓜をありったけ切って持って来させろ!」と嬉しそうに慶命に言い付ける嵯峨帝に明鏡は「瓜三つぶんでじゅうぶんでございます」と笑顔で釘を刺した。
宮女明鏡さまが急変なされた!
と報せを受けて慌てて馳せ参じた空海であったが、
当の明鏡さまはご危篤どころか完全に悪阻が治り、瓜三つと、白粥と、これは空海が唐で調理法を覚えて膳部に教えた滋養食である鳥肉の汁ものを一椀飲み干してご健啖ぶりを示されたので、すこぶるご健康ではないか!とも思ったが、
「ま、お心のつかえが取れたようで何より」と胸を撫で下ろした。
「わたし、子を身籠りましたの…」
と正妻の和気広子から聞かされた時、葛野麻呂は庭の湖面に目を遣っていて21年前に蓮池のほとりに立つ女人を見初めた時のことを思い出していた。
最初、葛野麻呂は広子のほんのり上気した顔を見、次に「それはまことか?」と妻の両肩に手を置いて、
「はい、薬師の見立てですから」と自信と誇りに満ちた顔で肯いた広子をそのまま抱き寄せて「でかした広子」と25才年下の若い妻の肩に顔を埋めた。
思えば広子と結婚して10年になるが、なかなか子を授からなかったので悩む広子に、
「仕方がない、我ももう54才の老人。他の妻との間に大勢の男子に恵まれているし、あなたが気に病む必要は一切無いのだから正妻として何の気兼ねも無く暮らしていていいのだ」
と折に触れて言い聞かせていたのだが本当に子を授かるなんて…!
「これからは体を大事にして健やかな子を産むのだぞ」
三日後、葛野麻呂は自邸で宴を開き、すでに長じて役職についている我が子らを呼び寄せた。
「父上、此度はご正妻さまのご懐妊、まことにおめでとうございます」
とお祝いの言葉を述べるのは葛野麻呂の七男でことし15才の常嗣。父親によく似た美丈夫さと、今学んでいる大学寮の博士たちが舌を巻くほどの学力。それに冷静に物事を分析して判断する性質からして、
後を継いで私より出世するのはこの常嗣であろう。
と我が家の将来を見定める程に自分は老いてしまった…
と家族たちが次々と祝いの言葉を述べる中で一人、人生の終わりと自分が過去に撒いてしまった悪い種に思いを馳せる葛野麻呂であった。
あれは13年前、最愛の女明慶が死んで遺児である明鏡も藤原乙叡にかどわかされ、百済王明信と桓武帝に奪われてしまった。
…よりによって百済王家の連中め、明慶と明鏡という母娘なぞここには居なかった。よその娘と勘違いしているのではないのかね?と二人の存在すら抹消してしまった!
そんな誰にも言えぬ無念を抱きながら薬子と逢って、あの滑らかな肌の上で目覚めた夏の夜、ふいに、桓武帝に復讐しよう。という思いが口をついて出たのだ。
「継子どのも美しく成長なさった…何処か縁づく先はあるのかね?」
いいえ、と薬子はかぶりを振り、小さな絶望のため息をついた。
「父種継がいなくなって皆、手のひらを返しました。皇后さまも薨去なさり、今や式家は落ちぶれ。と噂されています…この10年で私は人間の本性を全て見せつけられた気が致します。今は夫だけが頼りです」
葛野麻呂と最初に関係を持ってから9年。薬子は藤原縄主との間に5人の子を産み、表面上は順調に出世を果たしている縄主の良き妻、良き母として過ごしていたが心の奥では…
父を殺した桓武帝憎し。という私の心の火をどう鎮めればいいの?このままで終わるのは嫌。
という復讐心を自分一人の内で増幅させ、どうにも処理できない思いに鬱々と暮らしていた。
「帝が次の春宮妃に相応しい家柄の娘を探しておられる。継子どのなら申し分ないと思うのだが…薬子、お前宮中に入って仇に復讐したくはないかね?」
その時、床から顔を上げた薬子の眼が野心と復讐心で爛々と輝いたのを葛野麻呂は見逃さなかった。
「春宮さまは実は帝に無視されてお育ちになられた実に孤独なお方だ…。薬子よ、お前の才知と機転で母親のように春宮さまを慰撫してはくれぬか」
「私が春宮妃の母になれるのね?」そう弾んだ声で言い、夜着を着て居ずまいを正す薬子の顔は…美しくもあり恐ろしくもあった。
「もちろんさ、私の口利きなら何とでもなる」
その時から薬子と葛野麻呂は愛人関係から権門への復讐、という野心を持つ盟友となった。
お前が憎んでいた桓武帝も娘をかどわかした乙叡も死んだ。娘にも再会できたしもう権門への恨みはないであろう?
婿殿よ。自分で蒔いた種は自分で刈り取るんだね。
楽の音の中で、亡き舅の清麻呂の声が頭に飛び込んだ気がした。
舅どのよ、和気と藤原の血脈が繋がれたことをお喜びにならぬのか?と葛野麻呂は心で反駁したが、
それが、どうした?お前の子らもわが孫も、行きつく先は同じじゃないか。
貴族の子は皆、宮中に入れられるだけのことさ…
生きておられたらきっと宴の席でこんな皮肉を言うであろう和気清麻呂の言葉を頭の中で再現した葛野麻呂は、
急に自分が可笑しくなって肩を揺すって笑ってしまった。
その御姿を家族たちは、父上が大いに喜んでいらっしゃる…と思い込んで中納言の息子たちはますます舞いや楽に集中して宴は夜遅くまで続いた。
後記
葛野麻呂の息子常嗣も次の遣唐大使となって唐へ行くのです。
亡くなってからもちょいちょい活躍和気清麻呂。