令月の宴1・憶良口上
瓜食めば子ども思ほゆ
栗食めばまして偲はゆ
いづくより来りしものそ
目交にもとなかかりて安眠しなさぬ…
よく通る低い声でそう呟いたところで目的の地に着き、
「これは…見事ですなあ」
と従者が感嘆の声を上げたと同時にまだ冷たい風が衣の裾を巻き上げて、
馥郁たる梅の香りが馬上の憶良の全身を包み込んだが、憶良の顔は冴えなかった…
この国で最も早く花見の宴を楽しめるところは太宰府である。
それは天平二年の正月十三日(730年2月4日)のことであった。
せっかく開いた梅の香りが飛ばない内に、と太宰帥でことし65才の大伴旅人は自邸の庭に30人ほど人を招いて
いよいよ太くなって満ちて行こうとする下弦の月が令く輝く初春、風はまだ冷たくて震える客もいたが…
「なあに、酒を飲めば体は温まるものさ」
と筑前守、山上憶良や本来なら接待役である筈の太宰大弐(副官)小野老にまで、
「火鉢なんぞ抱いてないで飲め飲め!」と飲酒を強要する始末。
「さすがは『我は酒壷になりたい』とまで歌われた伴帥さまであるよ」
と今日で七十老になった憶良は杯の酒をちびちび舐めながら苦笑した。
確かに人間、酔えば気分良くして憂さを忘れる生き物であるが…
酔いすぎては歌が作れぬではないか。
意識が明瞭であるからこそ優れた文章と歌は作られると憶良は思っている。
有力な氏族の生まれではない憶良が今は従五位下筑前守にまで出世できたのは19年前の大宝元年(701年)、
選抜されて遣唐使として唐に渡り儒教と仏教を学んで帰ってのち、
学力と文才を認められて当時の皇太子、首皇子(聖武天皇)の侍講を勤め上げて今に至る…
身分と血筋が全てだった奈良時代、我がこの地位にあるのは、己の才と実力があったからだ。
と強く自負している。
今で言う叩き上げである。
だが、叩き上げ故に憶良の内には、歌の前の序文である漢文の中にどうしても言わずにはいられない自分の本音を織り込み、
自分の眼で見た民の現実、貧窮に喘ぐ人びとや防人に駆り出される夫を案ずる妻、そして我が下積み時代の労苦などを書かずにはいられない、反骨の熱い血が流れているのだ。
「これを…今人々に読ませるのはよくない。司馬遷の故事に倣って、生きている内は隠しておきなさい」
と旅人が彼の貧窮問答の歌集をいちばん弱い立場の人々の声を掬い上げた素晴らしいものだ、と讃えつつも敢えて封印するよう忠告したのは…
大陸の文化を何のためらいもなく受け入れ続けている朝廷の姿勢に疑問と反感を持っていて、せめて己が歌の中に思いを込めよう。という憶良の、為政者への抵抗を読み取ったからである。
後に「貧窮問答歌」と呼ばれる憶良の代表作は彼が筑紫に赴任し、尊敬する歌人でもあった旅人と交流するようになった66才以降の人生の最晩年に作られたものである。
司馬遷の故事に倣う、と言われて憶良は、
為政者が変わる度に人は皆殺され、建物は焼き払われ、文物は全て燃やされ前の国の文化なぞ、
無かったことにされる。
大陸の行いの繰り返しを、
歴史を編む身だからこそ痛感していた司馬遷は…自分が編纂している歴史書「史記」も燃やされる。と危惧し「我が生きている内は史記を封印せよ」と子らに遺言したと言われているではないか…
舌禍は身を滅ぼす。
生きている内は自分の本音を封印し、おまえの気風が受け容れられる時代が来るまで待つのだ。
今はその時ではない。と現在の朝廷を取り巻く状況を鑑みて憶良は「はい…」とうなだれるしかなかった。
それは、
女帝元明、元正の御代には朝廷を守護する武官であり、10年前に起きた隼人の乱をいち早く鎮圧した優れた政治家でもある旅人さまが、有能さ故に聖武帝の外戚である藤原四兄弟に疎まれ…
左遷されてここ太宰府にいらっしゃる。
という現実を宴のかたちで見せつけられているからだ。
「己が編んだ言の葉を後の世に残したかったら、今は封印するのだ。無言でいることもまた抵抗のひとつの在り方」
と我の歌集を櫃に納めた伴帥さまは仰った。
酒と火鉢で温まり、ようやく頑なな心をほぐした憶良は、
梅の花が咲き誇る中で憶良は、貧窮問答歌の公開と
己が歌で政情を変えてやる。
という野心を、静かに諦めた…
その時の心の変化が五感に影響を与えたのか、唐から渡り移植されて間もない植物である梅花の薫りが鼻腔をくすぐるのを、心地よいものだ。
と憶良は初めて思ったのだ。
それだけではない。ほどよい冷たさの風、清らかに輝く月、酔って陽気に笑う人びと。
今は今の美しさがあるではないか!
あれこれ思い煩って今この時を楽しめなかった自分は、
思慮深く賢いと自惚れていただけの…愚か者だったのだ。
伴帥さま、今はあなたの歌が心に沁みますぞ。
さかしみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし
賢しらにあれこれと愚痴を垂れるよりは、
酒でも飲んで泣きわめいていたほうがまだましだ!
と、ぐいぐい杯を酒をあおる癖に実は心の底から酔えない宴の主、大伴旅人に口上を求められた憶良は杯を上げて、
「あたかも初春の良き日、気うららかにして風は穏やかだ…」
とつとめて陽気な声で宴の開始の口上を述べ始めた。