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嵯峨野の月#75 小鳥立つ
薬子11
小鳥立つ
大同4年の暮れ、
騎乗した護衛の武官たちに守られ、輿に乗せられた上皇さまが内裏から平城京へとお発ちになられた。
さすが上皇さまのご出立ということもあり正装した貴族総出で見送られたそれは厳かなものだったけれど随行なさるのが幼いお子様方と尚侍さまごく少数で、どこか寂しい光景でもあった。
と明鏡は輿を見送った貴命から聞かされ、
よりによって弟君である帝がご発病なされた直後に!
なんのお見舞いも無く薄情なお振る舞いだし、まるで逃げるようで怪しい。
と眉を顰めるのであった。
「ほらほら、母君がそんな顔をしてたらお腹の赤さまが心配なさるわよ、明鏡・さま!」
と貴命に言われ、明鏡は思わず眉間に指を当てしわが出来ていない事を確かめた。そしてすっかり大きくなったお腹に手をやり、
「貴命さまから様付けで呼ばれるのにはまだ慣れません…」と照れ笑いした。
「だって、帝のお子を授かったのだから当然じゃない。それが後宮ってもんよ」
と言いきる貴命の口調はさばさばしていて妙に聞き手を納得させるところがあった。
この子は賢くて主に対する忠誠心が強いんだけれど…
長く宮中に居すぎて下働き根性が抜けていないな。と思った貴命は明鏡の肩に手を置き、
「もうすぐ産み月ですけど、皇子をお産みになられたらあなた、もっと大事にされますわよ。少しは自分に自信をお持ちなさいな!」
と叱咤した。
「…ところで、橘の夫人さまのご様子はどうなのです?」
明鏡が声をひそめて尋ねると貴命は急に表情を曇らせた。
「つとめて冷静な風を装ってらっしゃるけど日に日にご不安が強くなられておいでです。余程ご実家に帰りたくないのね」
二人は橘の夫人、嘉智子が幼い頃、兄弟たちの目に触れぬように一部屋に籠められて育てられたという過去の辛い境遇を本人から聞かされており、
そんな過去を思い出させる実家には帰りたくなくて当然だ!
と明鏡と貴命がうなずき合った時、
「だが、実家で皇族を産み、その家を栄達させるのが後宮の女人の重要なつとめなのだよ」
とお喋りしている二人の頭上に嵯峨帝の張りのあるお声が振りかかった。
「帝…」
こうしてお会いするのは実に10日ぶりだが、腹痛と下痢で病臥していらしたにしては、
「ま、随分と肌艶がよろしいことで」
と皮肉を言ってしまうくらいご壮健であられた。
やっぱり仮病でいらしたか。
宮中ではあの式家の尚侍に一服盛られたのだ。だから上皇さまは逃げるようにお発ちになられたのだ…と嘘かまことか解らない噂が飛び交っている。
兄上皇が出ていかれたその日の内に床上げなさるとは、病床での生活がよほど窮屈だったのだろう。と思うと二人は急に可笑しくなってふふ、と笑いだした。
「安心しろ、お前たちが心配してる事には既に手を打ってある」
お腹の御子が大きくなり、ぐるん、と動くたびに嘉智子は心の奥に何とも言えない温かみを感じるのであるが、同時に、
実家の一室で過ごした日々を思い出し、胸が詰まるような恐怖心に襲われるのであった。
正直な気持ち、嘉智子は実家の家族に会うのが恐くてたまらない。
「お前は橘家の栄達のために宮中で気に入られるの」
とはばかりなく言って自分を厳しく養育した母、田口三千媛はもちろん
「早く皇子を産んで兄たちを五位にしてくれないか」
と無遠慮な手紙を寄越す兄たちにも会いたくないのだ。
しかし、橘の家で出産するのは貴族家の娘として対面上避けられない。という思いを誰にも相談せずに抱え込んで過ごして来た日々に突然、
実家からの迎えの者が来た。と知らされて嘉智子の前で膝を付いた使者の顔を見るなり、
「お姉さま…!」と言って嘉智子は実の姉で藤原三守の妻、橘安子に抱き締められて思いきり泣いた。
「安心なさい、嘉智子」と安子は8年ぶりに会う妹の背中をさすりながら
「実はご懐妊すぐに帝から夫にご相談があって、橘家の敷地内の離れにあなた用の家を作らせましたの。
御車から降りたら真っ先に二人でそこに入りましょう。世話役の女たちも私が特に選んだ者たちです。
お産を終えて宮中に帰るまで私が守ります。母や兄たちには、絶対近づかせません」
ときっぱり言い、嘉智子が泣き止むまで大丈夫よ、大丈夫。と卵を抱く親鳥のように妹を両腕で包み慰めた。
「良かったわね本当…」とその様子を見て涙ぐむ貴命の隣で明鏡は、
さあて、私も自分の親との因縁に決着を着けて安心してお産に臨まなきゃね。と突き出たお腹に手を当てた。
「姫君と面会する日取りと場所は我が妻が決めますゆえ、あなたはゆるりと妻の呼び出しを待っていればいいのです」
と田村麻呂の言葉を信じてふた月近く待ち続けた葛野麻呂は、焦れていた。
主である上皇さまが出立し、無事平城宮にお入りになられた。と報せを受けた自分も日を置かず上皇さまの元に向かわなけらばならない。そんな時、田村麻呂の妻で命婦の三善高子が葛野麻呂の前に現れて、
「姫君が待っておられます」と自分の後を付いてくるよう促した時は飛び上がるような歓喜の気持ちを一切表に出さず抑え込むのに必死だった。
内裏の中のかなり奥まった部屋まで通され、そこに立っていた人物に葛野麻呂は、
「…上皇妃さまがなぜここに?」と思わず口に出した。
「お前に真実を伝える為よ」
上皇妃、朝原内親王はやや太めの眉を広げてゆったりと微笑んだ。そして間髪入れずに、
「13年前、明鏡をかどわかすよう明信に命じたのは私です」と告白した。
馬鹿な。我が娘を奪ったのがあの渡来人家の女でもなく桓武帝でもなく、目の前にいらっしゃる朝原さまだと?
「な、何故に…」
「神も仏も信じず不遜にも天皇家を利用して勝ち続けようとする藤原家の人間には解らないでしょうけどね」
と朝原は葛野麻呂を静かな眼差しで見つめ、
「私にだけは視え、解る領域がある。とでもでもいいましょうか。
明鏡からこの国の将来を担う柱となるべき一族が生まれます。
放っておいたら明鏡は北家に引き取られてしまう…だから私は焦って明鏡を宮中に入れ、神野に添わせるよう仕組みました」
悪いのは父桓武帝でも明信でもありません、全部私のせいです。だから、今まであのお二人に向けて来た恨みをこれからは全部私に向けなさい…
と言い残して朝原内親王が部屋から去り、代わりに入って来た宮女こそ我が娘、明鏡であった。
藤原葛野麻呂と明鏡。
半年前、宮中の廊下で鉢合わせて以来の親子の再会に二人は最初戸惑ったように顔を見合わせていたが、
「どうぞ、座って下さいまし」と声を掛けたのは明鏡からだった。
あ、ああ…と促されるまま袍の裾を広げて楽座(足の裏を合わせて座る胡坐)をし、先ほどの上皇妃の告白で受けた衝撃の余韻が覚めやらず、つい脇息に腕を持たせかける。
続いて明鏡が大きなお腹を抱えて横座りになると、二人の間にしばし気まずい沈黙が流れたが、「御子を産む場所は決まっているのかい?」と
この中に私の孫が。
と思って娘のお腹を見つめていると自然と言葉が口をついて出た。
「はい、祖母の明信のお家にお世話になります」
「それなら父がする事もなさそうだね」
「あの…」
「何だね?」
「どうして今まで…私の父だと名乗らないでいてくださったのですか?」
「最初はお前を取り戻すためにとにかく出世しようと唐にまで行って帰って来た。公卿にさえなれば明信どのは私を認めてお前を返して下さる。と上ばかり見て足掻いていたさ」
「…」
「帰国後にお前が神野親王の寵姫である橘の夫人さまにお仕えしていると聞いて私の考えが変わった。
このまま親子の名乗りをしてお前を北家の姫にしたら近い将来、主と寵を競う気まずい立場になる。それはお前の幸せなのか?と」
ああ、この方は。
藤原家の貴族としてではなく血の通った父親の心で私を見ていて下さったのか。
今まで藤原北家の上皇さま側の側近で、何を謀っているのか解らない殿方。いつか夫である帝に害を成すかもしれぬ。
と偏見に満ちた目で父を見ていたのは…自分の方だったのだ。
お父様。これから母として非情な決断を伝える私をどうか許して。
と目に溜めた涙を見られぬよううつむきながら明鏡は
「生まれて来る御子の将来についてですが」と話を切り出した。
「で、どうするんだね?皇子でも皇女でも後ろ盾が無いと貴族の子より辛い人生になるぞ」
この際だから外祖父でなくても孫の後見人になり、安心して皇族として生きられるようにして欲しいとお願いに来たのだ。
と葛野麻呂は思ったが、明鏡の口から出たのはそんな生易しい話では無かった。
「生まれた子には姓を賜り、臣籍降下していただく事を帝にご了承いただいております」
馬鹿な…!帝との間に生まれる我が子を皇族ではなくただ人として扱う、だと?
「そんなことを生まれる前から決めてしまうなんて、お前はそれでいいのか?」
「ならば聞きます。皇族であることが幸福で、臣下であることが不幸だと誰が決めたんですか?」
確かにこの時代、皇族同士、または貴族同士の争いによって政争に巻き込まれ、早良親王といい伊予親王といい、悲惨な死を遂げた皇族は少なくなかった。
我が子を生々しい政争に巻き込む心配をするより最初から臣下として自由に生きさせた方がこの子のためだ。
と桓武帝の孫として、百済王家の母と藤原北家の父との間に生まれた複雑な出自を持つ娘だからこそ、
自分で悩み、自分で考え、自分で結論を出してお腹の子の安寧のために夫である帝を納得させてから自分との会談に臨んでいる明鏡の覚悟に、
もはやお前は私の小鳥ではない。明鏡。
お前は後宮の中に橘の夫人という自分の居場所を見つけ、既に自分の足で歩き、自分の考えで人生を切り開く…
自立した一人の女人だ。
我が娘ながらなんと見事な。と目頭が熱くなった…
葛野麻呂は「完敗だ、我が娘よ」と苦笑を浮かべ「これからも私はお前の父とは名乗らない、約束する」と宣言すると明鏡は全身の力を抜いて、心から安堵した。
「姓を賜った皇族はすぐに宮中から出され、お前は子を手放す事になる。後見人はやはり南家の三守どのか?」
それについては、と明鏡は首を振り、
「できればお父様、あなたに後見人になってもらいたく」
と真っ直ぐに父の目をみつめた。
「なんと…!」
権門の命ひとつでかどわかされ宮中に入れられた娘が、己が子を私に託してくれるだと?
明慶よ。
私たちの娘が立派に成長し孫がわが手に帰って来る。これはお前のはからいなのか?
葛野麻呂は今は亡き最愛の女人に思いを馳せ、
「…今思えば、お前の母と過ごした日々だけが家柄も立場も忘れて自由に息を付けるひと時であった。解った。この爺今後何があってもお前の子の為に生きるぞ」
と言った葛野麻呂はその会談の後すぐに平城京に赴き、明鏡は祖母明信が住む邸に移った。
皇族の誕生を迎える場は産屋、という白い布にくるまれた庭の中に建てられた簡易小屋の中で行われる。
白衣に身をくるみ、同じ白衣を着た姉、安子に強く手を握られて嘉智子は迫りくる陣痛に耐えていた。
「もうすぐ赤さまが降りてきます!嘉智子、次の痛みが来たら出してしまうのですよ!」
白い頭巾と白衣を付けた兄嫁たちも「ゆっくり息をなさって!」「痛みが来たら思いきりいきんで下さい!」とお産の介助をする乳母に協力し、あるいは腰を背後から抱き上げ、あるいは顔の汗を拭いて皆、嘉智子のお産を助けてくれる。
次に来た体を上下に引っ張るような陣痛で嘉智子は高い叫び声を上げて残った力を振りしぼっていきんだ瞬間、何かが自分の身体を通り抜けて次に元気のよい産声が聞こえた。
「赤さま、ご誕生!」
ほぼ同時刻、
明信の亡夫、藤原継縄が建てた都の北東にある豪邸は今は明信の曾孫婿である阿保親王が相続し、その庭に真白な産屋が建てられ、中では明鏡の実の祖母である明信が「頑張るのですよ、もう少しよ…」となかなか難産で時間のかかるお産で苦しむ明鏡を背後から抱き上げて励ましていた。
「もうすぐ赤さまが降りて来ます。誰か母君に気付けをしていきませて下さい!」
と助産をする老婆が嘆願すると明信の孫娘、藤原平子は気を失いにそうになっている明鏡の両頬に平手打ちを食わせ、
「何なさってるんですか!ここでお気を確かに持たないと!」と無理矢理母体を正気づけた。
…あ、そうだった。ここで私がしっかりしないと帝から頂いたお子が。
と意識を取り戻した明鏡が次に来た陣痛でくう~っ!と歯を食いしばって何度かいきんだ後でやっと赤子の声が産屋じゅうに響いた。
大同5年正月(810年2月)。同じ日の陽が落ちる刻限に嵯峨帝夫人、橘嘉智子は皇女を、宮女明鏡は皇子を出産した。
いたくお喜びになられた嵯峨帝は七日後、皇女に「正子」、皇子に「信」とお名付けになられた。
次代の皇后、正子内親王と奇しき運命の元生まれた皇子、後の源信の誕生である。
朕の母親代わりとして仕えてくれた明信から一字を取って信、と名付けた。
と名付けの紙とお祝いの品物に結び付けられていた密書を読んだ明信はその場で涙を流し、
私たちの若き日の愛の血脈が繋がれましたよ、山部王さま。
と今は亡き恋人、桓武帝に向かって手を合わせて感謝し続けた…
後記
後の淳和帝皇后正子内親王と最初の源氏、信皇子の誕生。