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【AC】幸せな家庭と代理の母親

noteで発信を続けてきて感じるのは、家庭を持っている人が多いことだ。
子供の有無もそうだが、noteで発信している人には、とにかく結婚している人が多い。

この事実に対して、私はヘイト的な気持ちを持っているわけではない。その人たちのことを、「家庭持ち」というだけで嫌いになったりはしない。
ただ、疎外感を覚えてしまうのだ。

これから書く文章は、家庭を持っている人向けでは無いことを明記しておきたい。
20代半ばに差し掛かろうとしている1人の若造が、アダルトチルドレンという立ち位置から家庭に対しての恨み辛みを書いている文章が続く。
嫌な気分になりそうな人は、そっと閉じるを押してほしい。


私は未婚どころか、恋人がいた経験もないので、とにかくこの「家庭がある」という環境が、一体どんなものなのか想像がつかない。
大変そうだけれど、味方がいる安心感とでも言えばいいのだろうか。
それが羨ましくてしょうがないと思ってしまう。

一人、勝手に羨むだけなら特に問題はないのだが、「家庭持ち」の人が何かに悩んでいるだけで、「味方がいるくせに何を」という穿った見方をしてしまう。
同じ人間として悩んでいるだけなのに、些細な環境の違いで差別してしまっている自分がいる。

これは私自身が抱いている、子供に関する悩みを打ち明けた人に向けて「でも産む選択をしたのはあなたでしょ?」と思ってしまう気持ちと似ているような気もする。
(内容は異なるが私が実父に言われてとても傷ついた言い方と似ていて、とても寒気がした)

もう何年も私にとって、目の前の女性が「母」であることは、「私がそれ以上の存在になれない」ことを意味してきた。
どれだけ気に入られようと行動しようが、媚を売ろうが、その人が「母」である時点で、私はその人にとっての最上級の存在にはなれないからだ。

私はずっと誰かの「最上級」になろうとしている。今もそうだ。
努力したって特別になれないことを知っていながら、どうにか「周りと違う存在」になりたくて、ずっと頑張ってきた。中学生の時も、高校生の時も、社会人になってもそれは変わらなかった。

いつも好きになるのは、年上の女性ばかりだった。小説の中や画面上のキャラクターに始まり、学校の先生に変化し、しばらくすると芸能人の女性を好きになった。
昔から女性に執着していた私の尊敬とも、恋愛感情とも言えない微妙な気持ちが「欠落した母性の補填」だと気づけたのは、ここ最近のことだった。

何でも受け入れてくれる、等身大の私を愛してくれる、代理となる母をずっと探し続けていた。
現実にはそんな人がいないのも、そんな状態が愛だとは言えないことも知っていながら、私は諦めることが出来なかった。
だから、「母親」になってしまった女性は、私にとっての裏切りにしかならなかった。
子供という、二度と、超えられない壁。

きっとこれはアダルトチルドレンだったことが少なからず影響しているのだと思う。
小さな頃から、自分の「理解者」や「味方」がいなかった過去が足を引っ張っている。
苦労したのは自分の人生だけなのに、何も関係ない幸せな人の足を引っ張ろうとするのは違う。

こうして、当事者が良い気持ちにならない内容を発信してしまう自分に嫌悪感を覚えているのにもかかわらず、言わないと気が済まない自分のことが堪らなく嫌だ。

結局は全て、私に無かったものを羨む気持ちから始まっている。幸せな家庭も、優しい母親も。

自分の好きをなかったことにするのは違うけれど、条件付きの好きを尊重していいのかどうかはわからない。
本人に憧れたのか、母親に憧れたのか。
そもそも私の好きは本物だったのだろうか。

自分に向き合うほど、自分のことがわからなくなる。何年もかけて積み上げてきた私らしさに信用が無くなって来ているのがわかる。
一つ一つに理由や意味を見出すこと自体、間違っているのかもしれない。
どこで整理をつければいいのかわからない、今の私の気持ち。

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栖山 依夜
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